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2016-10-12

佐渡を歌った or 佐渡にゆかりの歌謡曲

(あ行)

●「哀愁列車」
哀愁列車の作曲は沢根出身の鎌多俊與である。関係者の書いたものを総合すると、この歌の唄い出しである高音の「ほーーーれえてほれえてー…」の部分は「佐渡おけさ」の歌い出し部分「はあーーっ…」をヒントに作ったそうだ。
佐渡高校百周年記念誌には「哀愁列車故郷へ帰る」との一文がある。
尚、三橋美智也は「佐渡おけさ」「相川音頭」「両津甚句」「七浦甚句」をレコーディングしている。
指導に当たったのは畑野出身の民謡家松本丈一で、「三橋はなかなかうまく歌えなくて困った…」と生前語っていたと言う。
松本と三橋の交友は大変長い。昭和27 年に日本民謡協会が創立した時の創立大会に松本と弱冠19歳の三橋が共に模範歌唱をしている。その後も互いに民謡協会の役員として深く交わったようである。

●「大川小唄」
 小林よしえ 保科義夫詞 鎌田俊與曲
 ※昭和29年頃レコード(今井睦雄歌)、平成にCD発売

●「おけさ唄えば」 (詞:佐伯孝夫、曲:吉田正、歌:橋幸夫、昭和35年)
 ♪こいつを歌うと泣けるのさ 遠くはなれて想うのは 鷗とぶとぶ松原よ おいら二人で逢ったとこ あの娘はこの唄好きだった好きだった

 「チャンチキおけさ」同様、佐渡から都会へ出てきた男の悲哀歌。揃いの浴衣で一晩中「おけさ」であの娘とダンシングオールナイト。今すぐに飛んで帰りたい。けど、いまだ夢の途中。男には帰りたくても帰れない理由があるのです、なんて歌。間奏でしっかり「佐渡おけさ」がうたわれています。

●「おけさ数え唄」
小林旭・こまどり姉妹歌。昭和34年の映画「渡り鳥いつまた帰る」主題曲で、「佐渡おけさ」や「あんこ入り佐渡おけさ」が入る。

●「おけさがらす」
 大月みやこ

●「おけさ鴉」
 三波春夫

●「おけさギター」
(歌 一戸竜也、保科義夫作詞、曲下川博省 33年)

●「おけさキャラバン」
(歌 菅原都々子、保科義夫作詞 曲 倉若晴生 昭和26年)

●「おけさ人形」
 (美ち奴 戦前)

●「おけさ人形もすすりもすすり泣く」
(歌 曽根史郎、保科義夫作詞、曲 鎌多俊与29年)

●「おけさの島から来た便り」
鈴木三恵子歌、畑野出身保科義夫作詞。昭和31年

●「おけさ舟唄」
 三橋美智也歌  [作詞] 高橋掬太郎 [作曲]鎌多俊与 [編曲] 山口俊郎 キング・オーケストラ製作者(レーベル) キングレコード
 発売年月日 1957年(S32)-12月
 ※「佐渡おけさ」が入る

泣かすつもりで情けはかけぬ 俺も泣く気で惚れはせぬ
旅の潮路のまんまる月に尽きぬ想いおけさ節
はー 踊り明かしたあの夜が恋しよ またも行きたや佐渡島
逢いに行きたし逢いには行けず 波を枕に夢悲し 
心あるならまんまる月よ 映せあの娘の面影を

●「おけさ旅情」
 (井田照夫 戦前)

●「おけさ渡り鳥」
 (こまどり姉妹)

 佐渡を出て望郷の念にかられているのは男ばかりではない。
 ♪おけさ懐かし……娘十九の ああ渡り鳥 
 志を抱いたのか、ただ花の都に魅かれて来たのか。いずれにしろ故郷をあとにした女性も少なからずいたはず。

●「おけさワルツ」
(歌 小唄勝太郎、保科義夫作詞、曲 倉若晴生29年)

●「女の港」
 (大月みやこ 星野哲郎作詞・船村徹作曲)
三番の歌詞に佐渡が出る。

(か行)

●「鴨湖小唄」
 浅野麻里子(本間林三詞 湯山光三郎曲)昭和7年作レコード 平成9年テープ

●「ギター仁義」
 (北島三郎)

 ♪おひけえなすって 手前おけさおけさの雪の越後にござんす と仁義を切っている。主人公は5年前に都会へやってきたものの「とんと浮き目の出ぬ」流しの歌手。

●「君住む島」 
(真木富二夫」(萩原四朗詩・福島正二曲) 

(さ行)

●「佐渡ケ島悲歌(エレジー)」
(菅原都々子 萩原四朗 詩・陸奥明 曲 27/8月) 

  ♪丘にのぼれば思い出の 君待草も花散りぬ・・・・・ 
 ※同名の映画の主題曲。  
→参照→★佐渡の映画

※「伊豆野康弘氏より」
そういえば、私が小学5、6年(昭和27~28年)の頃!?、両津欄干橋で根上 淳が主演の「佐渡ケ島エレジー」の映画ロケを、当時の橋の湊側の袂(元警察署と向かいの元角坂病院)の処で見たことがあります。そんな話を、同級生の竹内 洋くんと山田下駄屋の山田雅美くんに話したら、竹内君は「俺はキャンデー屋のキレンジの前で根上淳を見たよ」と言い、山田君が言うには、当時、
夷の沖の築港に渡るには、陸側の防波堤(コンクリートでなく、岩を積み並べ、内側は砂浜で、造船場や古びた・らん丸)とは陸続きではなく、泳いで生き返りするしかない難所ですが、その陸側の岩を積み並べたところで、根上 淳のサインして頂いた紙をずっと保持していたが、引っ越しを何度も重ねて来た今日、何処に置いて来たのか、無くなってしまったいる、言った話をしてくれました。
  
●「佐渡小唄」
 (東海林太郎)

●「佐渡育ち」
 古都清乃

●佐渡の石小法師(いしこぼし)
美空ひばり歌 昭和48年

佐渡の石小法師  西沢爽 作詞 古賀政男 作曲 

(一)佐渡の地蔵さん 石小法師 誰が供えた 誰が供えた 花椿
(二)親の病気の 身代わりに 娘売られて 娘売られて 海越えた
(三)遠い話か 石小法師 佐渡の娘は 佐渡の娘は それきりか
(四)知らぬ他国で 死んだやら いまは村にも いまは村にも 忘れられて
(五)娘残した 石小法師 両手合わせて 両手合わせて いるばかり
(六)佐渡は風花 雪もよい きょうも どんどと きょうも どんどと 海が鳴る

●「佐渡の恋唄」
 (細川たかし 作詞:たかたかし 作曲:弦 哲也 平成3年)

 ♪佐渡へ佐渡へと流れる雲に のせてゆきたいわたしのこころ

 これは伝説の藤吉からお先への想いをうたった歌。この歌のなかでもやはり「佐渡おけさ」の旋律が取り入れられている。
 平成の世になっても「佐渡情話」は細々ながらまだ生きながらえているということになる。

●「佐渡の恋歌」
 (三波春夫)

●「佐渡の恋歌」
 (島津亜矢 作詞:たかたかし 作曲:弦 哲也 オリジナル歌手:細川たかし)

●「佐渡の春駒」   
 ※発売されていない。デビュー25周年記念アルバムに載る。

・すってんてれつく ててんがてん てんと一ばち太鼓に合わせて踊るおいら春の駒
 生まれ故郷はおけさの島よ 佐渡はいよいか住みよいか えーーえー住みよいか

・すってんてれつく ててんがてん 小雪降る日に両津を出たが 今じゃ椿の花が散ろ
 たずなしぼって背伸びをしても 佐渡四十九里波の上 えーえー浪の上

・すってんてれつくててんがてん てんとたたけば涙がほろり 泣いちゃいけない春の駒 島ででかかさはどうしていやる 佐渡は寝たかや灯(ひ)も見えぬ えーえー灯も見えぬ

●「佐渡の故郷」 
(北廉太郎 戦前)

●「佐渡の故郷」 
(青葉笙子 戦前)

●「佐渡の夕笛」
 丘みどり

●「佐渡は四十九里」
(音丸)

●「佐渡は世界の宝島」
佐渡金銀山世界遺産登録推進シンボルソング・ダンス
新潟 古町のアイドルユニット「RYUTist」が歌っています。耳なじみがよく、口ずさみたくなる曲です。
踊りも簡単!動画では佐渡をはじめ新潟各地のみなさんに参加いただきました。
佐渡ではダンサーズが結成されていて、様々なイベントで普及活動を行っています。

●「SADOMETAL」
平成29年3月リリース。佐渡観光協会が作成。
撮影日は気温-2度。 極寒の中、佐渡の様々なスポットで熱くシャウト!シャウト!
いかつい風貌ながら地元民との絡みがホッコリする、ユーモラスな映像も楽しいPR動画です。
昨日配信されたばかりなのにYoutubeの再生回数は約4万。ネットニュースなどでもかなり取り上げられていて、かなりの反響の模様。
佐渡とメタルって意外と親和性がありますね。
この動画を見て佐渡に興味を持ってくれる人が増えるといいなぁ。
メタラーが新聖地 佐渡金山を巡礼しに大集結!なんてことになったらステキです。

●「佐渡を想えば」 
(小唄勝太郎 昭和8年)

●「島の娘」 
(小唄勝太郎)

●「出世佐渡情話」 
(三波春夫 作詞:北村桃児 作曲:長津義司)

  お国訛りを嗤われてなんど楽屋で泣いたやら 浮かぶふるさとあの山小川 飾る錦が男の誓い 今宵血を吐く寒稽古 泣いて別れたあの人に熱い想いを通わせて 島の娘の黒髪恋し唄うおけさも米若ぶしに 乗せて

●「人生おけさ」
 (三波春夫 作詞:北村桃児 作曲:長津義司)

  何をくよくよ明日があるさ 肩を叩いて酒場の隅で 涙忘れてしみじみと のんで語ろか人生おけさ 捨てちゃならないその夢だけは 荒いこの世の波風うけて 浮いて沈んで沈んで浮いて

●「前夜(桃花鳥(ニッポニア・ニッポン))」
歌:さだまさし

(た行)

●「たらい舟に乗って」
謎の主婦ユニット「婦人倶楽部」。羽茂在住とか。
映像もオシャレだし、音楽もキャッチー。良い意味で“佐渡らしくない”動画ですね。
次の展開が待ち遠しいです♪

●「チャンチキおけさ」 
(三波春夫 昭和31年)
 門井八郎:作詞 長津義司:作曲 三波春夫:歌 

(金井 和宏ブログより)
昭和32年(1957年)
昭和32年4月、三波自身が作った『メノコ船頭さん』を彼の最初の歌謡曲として世に出したが、残念ながらあまりパッとしなかった。
そのすぐ後に、素人作詞家の投稿作品に曲を付けた『チャンチキおけさ』を出したところ、これが20万枚を超える大ヒットとなり、同じ作詞家によるB面の『船方さんよ』もヒット曲になった。
1.月がわびしい 路地裏の  
屋台の酒の ほろ苦さ  
知らぬ同士が 小皿叩いて チャンチキおけさ  
おけさ切なや やるせなや
2.一人残した あのむすめ 
達者でいてか お袋は 
すまぬすまぬと 詫びて今夜も チャンチキおけさ 
おけさおけさで 身をせめる
3.故郷(くに)を出る時 持って来た
大きな夢を さかずきに
そっと浮べて もらすため息 チャンチキおけさ
おけさ涙で くもる月

「素人作詞家」と書いたのは、門井八郎(大正2年-平成5年)という作詞家。彼は逓信省東京逓信局の経理マンとして勤務する傍ら、詩作に励んだり、佐藤惣之助、長谷川伸の門下生となり、小説を学んだりしていた。三波の歌謡曲歌手としての初の大ヒットは、即ち作詞家としての門井にとっても同じことだった。彼はその後、アイ・ジョージの『赤いグラス』のほか、田端義夫や石原裕次郎などの歌手の詞を手がけている。
一方の作曲家、長津義司(明治37年-昭和61年)は戦前からのベテラン作曲家。昭和10年初頭から、エノケン、田端義夫、淡谷のり子などに曲を提供している。
三波との出会いの後は、もっぱら彼の曲を作り続けている。ことに三波の作詞(ペンネームは北村桃児)、長津の作曲による『長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄葉蕃』は圧巻とも言える大作である。
この『チャンチキおけさ』も、『佐渡おけさ』をベースにした軽妙な節回しが、かえってしみじみとした思いを抱かせる秀作だと思う。『佐渡おけさ』を使ったのは、三波が新潟県出身だと言うこととも関連があるのかも知れない。
詞の方もしみじみしている。この曲の発売当時は"鍋底不況"と言うことで、日本全国景気の悪さに辟易としていたようである。望郷の念を持ちつつも帰るに帰れず、都会の片隅の居酒屋で安酒を呷る。
私は、殊に「知らぬ同士が 小皿叩いて チャンチキおけさ」のフレーズが好きである。お通しか何かで出てきて空になった小皿を、割り箸で小さく叩くときの「チン、チン、チン」という侘びしげな音が聞こえてくるような気がする。
「チャンチキ」とは摺鉦のことで、真鍮でできている小さな鉦。これを撞木という棒で叩くと、まさに小皿を割り箸で叩くのと同じような音がする。
そんなことを書いているうちに、子どもの頃、ご飯茶碗を箸で叩いて音を出していたら、母親にきつく叱られてしまったことを、何十年かぶりに思い出してしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 佐渡から都会へ出てき幾歳月。あの頃は大きな夢もあったけれど、いまだ日陰の身。そんな男の屋台酒。ついつい出るのが「おけさ節」。気がつけば見知らぬ隣人も手拍子に茶碗と箸の馬鹿ばやし。調子にのって声を張り上げればまぶたに浮かぶのは故郷に残した懐かしき人びとの顔また顔……。
 そんな切ない男の望郷歌。間奏には「佐渡おけさ」がつかわれ(佐渡をうたった歌には多い)、イントロの浮かれ囃子もどこかジンとくる。美声を聞かせるのは浪曲師出身の三波春夫。彼のデビュー曲でもあり、この一曲で流行歌のメジャーシーンに。
「もはや戦後ではない」時代となっても庶民はまだまだ貧しかった。
三橋美智也や春日八郎の「望郷歌謡」全盛の時代、佐渡に限らずどれだけ多くの人間が地方から夢を抱えて都会へ出てきたことか。
そんな彼らの共感を得て「チャンチキおけさ」は大ヒットした。

 ♪……知らぬ同士が 小皿たたいて チャンチキおけさ

●「東京へ戻っておいでよ」 
(守屋浩)
 都会から佐渡へというパターンは? これがあるんですね。
 ♪生まれは越後の佐渡だといっていた 
 佐渡から東京へはたらきに来ていた娘。その娘に惚れたけれど、なぜか事情があって故郷へ帰ることに。駅のホームで涙の別れ。「待つぜ」と言ったら頷いたあの娘だったがそれっきり……。それでも何度も夢に見る男。早く帰って来てくれと未練はつのる。きっと佐渡に許嫁でもいたのでしょう。

●「朱鷺」
THE BOOMの「朱鷺」という曲はとってもロマンティック。
作詞作曲を手がけた宮沢和史さんは子供のころからトキに憧れていたそうで、何度も佐渡を訪れたことがあるとのこと。畑野小倉の田植えイベントにも個人参加、ライブも開催されました。


●ともしびを抱く人たち(関 真紀子) 仙宅千恵子作詞
https://www.youtube.com/watch?v=WnSBwu05Uuk
昭和32年(1957年) COLUMBIA 松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」主題歌
作詞:仙宅千恵子 作曲:木下忠司 歌唱:関 真紀子
※「喜びも悲しみも幾年月」の副主題歌で映画の最後に流れる。仙宅千恵子さんは湊城ノ内の人。
一、
海の眠りを さそうともしび ほのぼのと夢む おだやかな光を じっと じっと 見つめて生きる人たち
二、
果ての果てまで つながるともしび 母の匂いのする 温かい光を そっと そっと ささえて生きる人たち
(な行)

●「涙を抱いた渡り鳥」 
(水前寺清子)
 ♪今日は淡路か明日は佐渡か 遠い都の恋しさに 
 これは●「渡り鳥」、のちにいう●「流れ者」のうた。●「乙女心の一人旅」って女の流れ者もいたんですね。どんな仕事をしていたのか、ドサ回りの歌手か、流れのホステスさんか、はたまた女壺振り師か……。妄想いや想像はふくらみます。

(は行)

●「ひばりの佐渡情話」 
詞:西沢爽、曲:船村徹、歌:美空ひばり、昭和37年)

 ♪佐渡の 荒磯の岩陰に咲くは鹿の子の百合の花 花を摘み摘みなじょして泣いた 島の娘は なじょして泣いた 恋はつらいというて泣いた 

 「佐渡情話」にはいくつかのヴァリエーションがあるらしいが、オーソドックスなものとしては、本土の柏崎から佐渡へやってきた大工の藤吉と島の娘・お弁の話。
 ふたりは恋仲になるが、やがて藤吉は仕事が終わり柏崎へ帰ってしまう。藤吉への想いを断ち切れないお弁は毎晩たらい舟を漕いで柏崎まで通うようになった。しかしその執念を懼れ、疎ましくなった藤吉はお弁が頼りにしていた柏崎の岬の灯を消してしまう。目標を失ったお弁のたらい舟は波間に沈んでしまい、数日後佐渡の海岸にお弁の亡骸が打ち上げられた。
 というような話で、その後悲しんだ? 藤吉が海に身を投げて果てるという話も。
 ちなみに似たような片恋悲劇話は全国いたるところにあるそうだ。
 この伝承話「佐渡情話」が全国的に知られるようになったのは浪花節(浪曲)によって。
 昭和6年、浪曲師の寿々木米若がこの「佐渡情話」をアレンジ、さらに「佐渡おけさ」も取り入れながらレコーディングしたところ、これが大ヒット。
 主人公は吾作とお光に改名され、ストーリーもお光に許嫁がいてその男が二人の恋路を邪魔したり、お光は死なず気がふれるというように改変されている。また一般受けを狙うため、最後はとおりかかった日蓮上人(実際佐渡へ流島になっている)によってお光が正気に戻るというハッピーエンドで終わる。
 この「佐渡情話」あまりにも受けたのでのちにまったく別の話の「新佐渡情話」がつくられたり、後日譚として「七年後の佐渡情話」がつくられたりと、よくある展開。
 しかし、今考えると浪花節にそんな影響力があったのか? と思うが、実際あったのだ。
 そもそも浪花節の起源は、17世紀ごろ、仏教の僧侶が行う説経をエンターテインメントに仕立てた「説経節」や神仏の礼讃からやがて大道芸となった「祭文語り」(デロレン祭文)、そして木魚などを叩きながら時事ネタなどを節にのせて語る「阿呆陀羅経」(チョボクレ)ではないかというのが定説。

 その特徴は落語や講談と同じ語りの部分に加えて、独特の謡うような「節」があること。演目は「金襖(きんぶすま)」と「世話物」にわかれ、かんたんにいうと前者は武家物であり、後者は市井物。その内容の多くは現在でも「浪花節的」という言葉があるように義理人情や修身道徳的要素をふくんだストーリー。
また「曲師」と呼ばれる三味線の弾き手と対で演じるのが基本。
 「浪花節」と呼ばれるようになったのは明治以降で、それまでは「ちょんがれ」「祭文」あるいは「うかれ節」「都節」といっていたとか。「浪花節」の由来も諸説あるようだが、明治初期の祭文語り浪花伊助や浪花亭駒吉の人気による、という説もある。
 明治期に定着浸透していった浪花節は昭和の時代に入って大ブームとなる。
 それはまさしく、ラジオおよびレコードの登場と歩調を一にしている。
 そのひとつの例として昭和12年にNHKが行ったラジオの番組嗜好率調査では、浪花節がドラマや野球・相撲、あるいは同じ演芸の講談や落語、さらには歌謡曲をおさえて第1位になっている。つまりみんなの好きな番組「浪花節」ということ。
 そんななかで生まれたのが寿々木米若の「佐渡情話」。とりわけレコードの売り上げはスゴかったらしい。また、それ以上に人気を博したのがミスター浪曲こと広沢虎造。浪花節は知らなくても広沢虎造の名前と彼の十八番「清水次郎長伝」の「石松三十石船」を知っている人は多い、いや多かった(昭和の話ですから)。
 こうした浪花節の人気は日本人が価値観の変更を迫られた敗戦によっても衰えなかったというのがスゴイ。生きる方便としての価値観は変わっても、本質的な情感はさほど変わらないということ。

 昭和20年代中ごろ、ラジオの民放が相次いで開局すると、各局こぞって浪曲番組を制作。それもゴールデンタイム。ラジオからは毎日のように米若、虎造をはじめ玉川勝太郎、前田勝之助、吉田奈良丸、三門博といった人気浪曲師たちの声が流れていた。
年末年始になるともう浪花節のオンパレード。昨今の“お笑ブーム”も顔負け。
 そんなナンバーワン・エンターテインメントに斜陽の影が兆すのは昭和30年代に入ってから。まさに戦後が終わり、日本が復興へ経済の発展へと踏み出していった頃。さらにいうならテレビの普及がスピードアップしていった頃。エンターテインメントは耳で聞くことから目で見る時代に変わっていったのだ。
 昭和30年代、浪花節に代わって芸能の王者になったのが流行歌すなわち歌謡曲。しかし、浪花節の世界からその流行歌の世界へトラバーユしてみごと大成功した歌手が2人いる。それが三波春夫と村田英雄。これぞまさに盛衰の象徴的なできごと。
 その三波春夫が寿々木米若の一代記をうたったのが「出世佐渡情話」。全盛期の歌舞伎座夏の公演ではその芝居も演じていた。
 もはや昔日の面影さえない浪花節の世界だが、今でも日本浪曲協会には数十人が加盟している。女浪曲師が多いというのも近年の特徴で、NHKラジオでは週1回の定期番組(「浪曲十八番」)もあるそうだ。

 昭和30年代に入って人気が凋落していき、忘れられぎみになっていった「佐渡情話」だが、起死回生? の出来事が。
それは昭和37年に発売されヒットした美空ひばりの「ひばりの佐渡情話」。
 これは「佐渡情話」をヒントにしてつくられた歌謡映画の主題歌で、民話とも浪花節とも無関係。ただ、ヒロインのひばりの乗った船が海に流されるという伝説もどきのエピソードがあったり。
 この37年という年はひばりが最も活躍した年でもあり、なんとシングル盤12枚、LP5枚をリリースしている。
それだけではない。ふたたびなんと主演映画が計9本。まさに超人的。ひばり25歳で、心身ともにもっとも充実していた時。
 映画とその主題歌の「ひばりの佐渡情話」が世に出たのがその年の10月。そして翌11月には小林旭と結婚している。
 「ひばりの佐渡情話」のおかげで、伝説「佐渡情話」も浪曲「佐渡情話」も少しだけ息を吹き返した感があった。

●「ひばりの渡り鳥だよ」
(美空ひばり、昭和36年)

 「佐渡情話」の前年に出した。その3番に、
 ♪雪の佐渡から青葉の江戸へ 恋の振り分けちょいと旅合羽
 とある。この詞だけから解釈すればこの歌の主人公の渡世人は佐渡生まれということに。
 ちなみに作詞は「佐渡情話」同様西沢爽。

(む行)

●「麦と兵隊」  

「徐州徐州と人馬は進む 徐州いよいか住みよいか しゃれた文句に振り返えりゃ お国訛りのおけさ節 髭が微笑む麦畑」
ご存じ「麦と兵隊」の一節です。
この歌は、東海林(しょうじ)太郎の唄(作詞:藤田まさと、作曲:大村能章 1938年)で大ヒットしました。
日本自動車部品協会機関誌「優良部品」(平成2年2月10号)の「つれづれ想思譜(自動車ジャーナリスト有馬崇)にこんな記事があります。
「新潟県柏崎市大字石曽根にある鯖石神社の50代目の神職で、ミヤコ自動車工業の創立者だった故宮澤益二郎さんにこんな逸話があります。 この記事は次の雑誌記事からの抜粋引用です。」として続きます。
「私の年代は、当然のことながら太平洋戦争を控えての支那事件、上海事件に参加した人が多い。私自身もその一人だ」と宮澤さんは、当時を思い出しながら話し出した。
 宮澤さんによると中支派遣軍に応召。上海・南京攻略作戦に参加、さらに徐州作戦において「大腿部貫通銃創」という名誉ある負傷を受けている。 その徐州作戦における野戦病院に担ぎこまれた負傷兵の中で、元気のよい宮澤さんは、ともすると陰気になりがちな戦友の気持ちを引きたてるため得意の“佐渡おけさ”を中心とした民謡をはじめ詩吟を唄った。
 そうした風景をたまたま前線慰問に訪れた作家・火野葦平氏が感激して宮澤さんを激励したという。 そうした一風景は、小説「麦と兵隊」に書かれる一方、東海林太郎が唄った「麦と兵隊」(作詞:藤田まさと)の一節、友を背にして道なき道を…”のモデルにもなったそうだ。

(ら行)

●「落日」
さだまさしが「次の曲は佐渡の小木と言う所で海を見ながら作った曲です」と言ってラジオから流れて来たのが「落日」と言う曲。

♪夕日が沈んで行く 君の瞳の中に はぐれ雲が朱鷺色に 
 ♪そう悲しげな時の羽の色に染まりながら風に流れて行く
♪少し風が出て来た 君の肩を抱いた 
 ♪命は何処から来て 何処へ行きたいのだろう 
♪本当が知りたい僕らの愛の事も
 ♪幸せになろう いつか必ず 
♪約束をしよう 幸せになろう

「小木の海を見ながら」と言うのはどの辺なのだろう?
私は沢崎灯台の辺りだと思うのだけれど・・・。

●「両津小唄」
 浅野麻里子(本間林三詞 湯山光三郎曲)昭和7年作レコード 平成9年テープ  
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