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2022-10-09

小笠原寛行氏より(山田純一郎氏友人)

小笠原寛行氏より(山田純一郎氏友人)
・小林多喜二は1926年から1927年にかけて闘われた富良野の磯野農場の小作争議を取材し、1929年7月に『不在地主』の執筆にかかり9月に完成し中央公論に掲載されます。たしか拓銀幹部の娘さんが作品を読み、拓銀批判(銀行は地主に金を貸し付け、それを小作に地主が高利で転貸している)を読んだのが切っ掛けで、11月には解雇されます。長い間全集などにも多喜二は「依願退職」とされていましたが、近年拓銀から人事に関する資料が出てきて「「左傾思想を抱き『蟹工船』『一九二八年三月一五日』『不在地主』等の文芸書刊行書中当行名明示等言語道断の所為ありしによる」を理由に、欄外には「書籍発行銀行攻撃」と書かれていました。資料は現在小樽文学館に展示されています。退職手当金も「1124円14銭なるも半額の560円給与」と諭旨解職であったことがわかります。多喜二は1924年に拓銀に入行しましたので通常の退職なら僅か5年で高額の退職金が支給されたとなります。ちなみに当時の大卒サラリーマンの初任給は50円から60円のようです。恋人の田口タキさんがヤマキ屋で縛られていた前借金が500円弱だったようですので、いかにみなさんの卒業された学校の小樽高商の出身者はエリートとして遇されていたかわかりますね。
・八幡若宮神社で現在も北一輝、玲吉兄弟の慰霊祭をやっているというのも驚きですね。5・15事件に関与した佐渡の出身者というのはおそらく渡辺さんの資料に出てくるのでしょうけれどまだ見つけていません。佐渡は日蓮の流刑地でもありますので、現在でも何か残っているのでしょうか。5・15事件も日蓮宗の影が見て取れます。血盟団の井上日昭の影響下にあったようですが、その井上は国柱会の田中智学の近代日蓮主義の強い影響のもとにあったということになつています。国柱会の信者には宮沢賢治や石原莞爾も熱心な信者と知られていますね。その国柱会の北海道連合局の墓地が小樽の中央墓地にあります。国柱会は個人の墓を持たず合同墓として合葬するので北海道中の信者は小樽に埋葬されるということになります。どうして小樽にあるのか歴史的経緯は不明です。
・補足ですが磯野商店の倉庫は土方巽の影響を受けた北方舞踏派の拠点となります。当時の様子は橋本治原作の日活映画「桃尻娘」に出てきます。北方舞踏派が小樽を離れてからは飲食店海猫屋になります。これは村松友視の『海猫屋の客』の舞台になります。現在は経営者がかわり小樽の若い人が経営するISOという名前の店になっています。磯野からとったんでしょうね。
・磯野農場争議の指導者のひとりは境一雄さん。見ていませんけれど境さんと磯野進さんの息子さんの対談がかなり昔ですがNHKのドキュメンタリーに出てきたようです。この争議は1926年です。その前年1925年に小樽高商軍教事件が起きますが、発端は高商の寮生だった斉藤磯吉さんのところに遊びに行ったときに軍事教練の内容を書いた文章を見たのが発端といわれています。地震により小樽が被災し朝鮮人と無政府主義者が小樽公園に集結し暴動を起こそうとするのを鎮圧するというのが訓練の趣旨だったようです。当時小樽には港湾労働者を中心に三千人近い朝鮮人労働者がいたと言われていますので、これは大ごとと境さんが斉藤さんに働きかけたようです。
境さんは小樽中学卒業後キリスト教徒で牧師を目指し、同志社へ行ったようですが大山郁夫の講演を聞き、感動をして同志社を退学し、大山が教鞭をとっていた早稲田大学に入りなおしをします。小樽合同労組の指導者で3.15事件では逮捕されます。戦後最初の総選挙で社会党から立候補し衆議院議員になります。その後は市議会議員として活躍していたようです。
・斉藤磯吉さんは高商入学前に色内小学校の訓導で、その姿は教え子だった永山正昭さんがみすず書房からでた『星星之火』に書いています。小学校の教員を辞めさらに勉強したくて高商に再入学したのでしょうね。斉藤さんは最も重い放校処分。商大にいた特高警察の研究者の荻野富士夫さんに聞いたところ、学校を追われた斉藤さんはどのような生涯を送ったかは調べたけれど出てこなかったとのことでした。
・福田誠之郎さんが野草社からでていた「80年代」という雑誌にたしか「明治の社会主義者たち」というタイトルで当時も小樽にいた境一雄さんにインタビューした記事を書いています。とても興味深い記事でした。
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2022-10-01

哀愁列車(三橋美智也) 鎌田俊与作曲

雨の乗合船 美山蓉子 ※保科義男作詞


居酒屋(春日八郎)鎌田俊与作曲


越佐海峡~恋情話(真木柚布子 )

俺ら炭鉱夫(三橋美智也)鎌田俊与作曲

おけさ唄えば 橋幸夫

おけさ海峡(上杉香緒里)

おけさ数え唄(小林旭・こまどり姉妹)

おけさ恋歌(瀬口侑希)

おけさの島へいま帰る(佐々木新一)

おけさ舟唄(三橋美智也) 
※高橋掬太郎作詞/鎌多俊与作曲 1957(S32)

おけさ宿 (大川栄策)

男なら(近衛八郎他)昭和12年
※近衛八郎は後の鎌田俊与(沢根出身の作曲家)

俺は野良(春日八郎)鎌田俊与作曲

風の吹きよで(若原一郎)鎌田俊与作曲

風の宿(水田竜子)

君の名は(織井茂子)1953年

くれないおけさ(杜このみ)

黒百合の歌(織井茂子)1953年 「君の名は」の歌の一つ

恋あざみ(八代亜紀)
※作詞の泉淳三(=保科義夫)は畑野出身

佐渡炎歌(城之内早苗)

佐渡ヶ島エレジー(菅原都々子の曲)

佐渡情話(米倉ますみ)

佐渡育ち(古都清乃)

佐渡なさけ(音羽しのぶ)

佐渡の石小法師(美空ひばり)
※美空ひばり 佐渡の石子法師 (唄 美空ひばり) 作詞=西沢爽 作曲=古賀政男 1973年発売曲。

佐渡の恋唄(三波春夫)

佐渡の恋唄(細川たかし)

佐渡の春駒

佐渡の夕笛(丘みどり)

「砂山の花」歌:小川静江 作詞:保科義雄 昭和25年、、


チャンチキおけさ(三波春夫)


月のおけさ船(青木光一)
1956(昭和31年):石本美由紀作詞/作曲平川英夫

ともしびを抱く人たち(関 真紀子) 仙宅千恵子作詞
※昭和32年(1957年) 松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」副主題歌
作詞:仙宅千恵子 作曲:木下忠司 歌唱:関 真紀子

ひばりの佐渡情話(美空ひばり)

望郷佐渡おけさ(山本謙司)

美智也マドロス(三橋美智也)鎌田俊与作曲

夕月おけさ(天童よしみ)

喜びも悲しみも幾歳月(若山彰)佐渡ロケ

浅丘ルリ子「別れの佐渡おけさ」(昭和38年)

別れ笛(三橋美智也)鎌田俊与作曲

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