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2016-10-31

真野文学碑

まの真野 文学碑 (1)
まの真野 文学碑 (2)
まの真野 文学碑 (3)
まの真野 文学碑 (4)
まの真野 文学碑 (5)
まの真野 文学碑 (6)
まの真野 文学碑 (7)

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2016-10-31

真野町(市町村長・議員 酒造)up

2016-10-31

次の方をup 佐々木五三郎・佐々木茂春・佐々木伝佐工門・佐々木祐之・佐々木康夫・佐々木良昌・本間大吉up

2016-10-29

松木西願追加up

2016-10-29

松木西願

「金井を創った百人」(金井町 平成12年)より
ま松木西願(3)

『新穂村史』(昭和51年刊)より    
生椿には「上人様」という遺跡がある。標高629m国見山の麓に西方院滝という滝があり、生椿と接続している。こゝで門学上人という僧が行をしている。文久三年(一八六三)三月十四日の位牌のあるところから、当時以前に在住したと思われるが生国も履歴も詳かでない。二代目松木西願は明治十年(一八七七)に入山し、行を積むと共に明治二十年に上人堂を新築している。上人は社会事業特に病気の治療に特殊の手腕を有し、信者や治療を求める者は山間にもかゝわらず非常に多く、遠く県内はもとより県外からも釆たといわれ、社会事業としては国仲線新保地内の水害地に「南無阿弥陀仏」の石塔を建てゝ居り、郷坂山吹上げにも同じ石塔が建てられている。この石は同一の石を二分したものとの伝説もある。新穂ダムの竣工記念碑の大きな石も、上人が上町の十本橋架けかえのため山中から信者と共に切り出し、重さのため中途に残してあったものを使用したものである。明治三十三年(一九〇〇)水津願誓寺の住職となり、同四十一年に死亡した。西願は福井県今立郡池田村の人といわれ、三代目を法道上人といい水津の人といわれるが、入山は大正二年(一九一三)であり、僅か三年で大正五年(一九一六)四月に没している。その後は住む人もないが、二代目西願の築いた庭石、庭木の一部は今も残っている。


「生きたお経をよんだ了寛」(「佐渡の百年」)

『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年刊)
まつ <br>松木西願

まつ 松木西願 (2)

「生椿の上人」(高野高治・高野毅)
まつ松木西願 (1)
まつ松木西願 (2)

「島の新聞」9号
9もん門学 西願 法道
2016-10-28

今井浤・金子のぼる・佐々木義栄・佐々木象堂・仲川寅造・本間周敬・松井源吾・松井源内・松井誠・松本繁・山本修之助を追加UP

2016-10-28

松井源内

・『青春の森』(「佐渡高校」 毎日新聞新潟支局 昭和50年) p384

まつ松井源内邸 (4) まつ松井源内邸 (2) まつ松井源内邸 (3)

佐渡国眞野村大字吉岡の産、安政五年七月農家若林源右衛門の二男に生る幼名を忠太郎。
長じて同村松井源内の養子となり、其性を襲ひ後養父の没に遭ひ襲名して源内と改む。 明治十七年壽都町に来る(中略) 専ら呉服商を営み傍、海産仲買業、醸造業、回漕業、漁業等を経営して資産を興す。
後、有志と謀り後志興農会社を創立して取締役に就任し壽都汽船株式会社を興して社長となる。
同じく壽都倉庫株式会社を組織して是れ又社長に推され町会議員は勿論所得調査委員壽都外三郡酒造業組合長を勤める。更に壽都町長に当選、就任後、町各般の公事に盡瘁するところ頗る多く実業家として又公人として地方に重きをなす。
明治三十六年舊函館県管内選出衆議院議員となる。 大正二年三月病没。松井源吾は息子。
※この地区は現在の余市である。

『真野町史(下巻)』(昭和58年3月刊)
吉岡若林源左衛門の二男、のち新町松井家に入る。若い頃北海道寿都町で呉服業を営み成功し、明治三五年寿都町長、同三七年北海道選出の衆議院議員となった。大正二年三月、五六歳で死去した。新町島倉伊兵衛家を買って留守宅としているが、帰省することは稀であった。

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
佐渡郡真野の出身である。明治三十五年八月十日、北海道より衆議院議員に当選した。(佐渡大観)

『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
安政五年生 真野村新町 ・明4、第九回衆議院議員の選挙[三十七年三月一日]・大1、前代議士松井源内の逝去[二年二月十日]

『後志国要覧』(北海出版社 編 明治42年刊)
まつ松井源内(「後志国要覧」)

『北海道人名辞書』(金子信尚編 北海民論社 大正12年刊)
まつ松井源内(「北海道人名辞書」)

『北海道立志編. 第1巻~第3巻』(北海道図書出版 明36-37明治36年~37年6月刊)
まつ松井源内1(「北海道立志編」)

まつ松井源内2(「北海道立志編」)

まつ松井源内3(「北海道立志編」)

(諸情報)
・松井家親戚井上氏談
 代議士になった源内は二代目源内である。
 現在の松井家は、元々は司馬凌海の実家である島倉家であった。島倉家は現在道路になっている部分と松井家を合わせた屋敷であった。
・松井源内家は北海道で財をなしたのが二代目、三代目は県会議員となった高野寅三郎、四代目が松井源吾である。
2016-10-28

本間周敬

※佐渡人名辞書(さどじんめいじしょ)
 大正四年(一九一五)に真野町新町の眼科医、筆名洒川こと本間周敬によって著わされ、東京の弘文堂で発行された。同書の自序によると、その二年前に新穂で、先哲遺墨展覧会をみて感動し、「爾来業務の余暇諸書を渉猟し旧記を討尋し、伝説に稽へ遺裔に糺し、苟も一技一芸に秀て、篤行奇績の伝ふべきものあれば得るに隨ひて録し、稿を更むること六回、蒐集の人物四百五十余を採りて以て世に向ふ」とある。その頃同氏は、千葉町猪鼻台に仮寓していた。また凡例のなかに、「本書編纂に就きては、山本半造君・山本植蔵君・岩木擴君・守屋泰君・川上賢吉君・茅原鉄蔵君・本荘了寛君・牛窪弘善君、及び遺裔関係諸氏の指導校訂を受けしもの甚だ多し。」とある。とくに牛窪には多くの資料を得たり、極力史料をさがしてもらったともある。島の出身者牛窪は東京在住者、他は在郷の研究家や篤学の士である。内容は、子弟関係の系統図にはじまり、人名はいろは順に挙げられ、八二頁から九六頁までは外伝が、以下附録として年表が、また古書の解題が三頁ほどあって、一一一頁で終わっている。著者には他に『佐渡上代史考』・『佐渡郷土辞典』・『佐渡の史蹟』などの良書がある。
【関連】本間周敬(ほんましゅうけい)【執筆者】本間雅彦 (相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』より)

(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
ほん本間周敬

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
佐渡郡真野町新町の人で、郷土史家である。佐渡人名辞書(大正四年三月発行)をはじめ佐渡の史蹟、西三川村誌、佐渡郷土辞典、佐渡上代史考等の著書がある。(慨観佐渡、佐渡人名辞書)
※号は「洒川」で、言われは郷里の「西三川」の文字を分解して組み合わせたもの。 

『真野町史(上巻)』(昭和51年刊)
郷土史ブームが盛んになった大正末年、当時新潟県史蹟調査委貞であった真野町新町の山本半歳、同じく新町の本間周敬(酒川)相川町の原田広作が吉岡在住の鶴間兵蔵を案内人として松林中を探査し、一個の礎石を発見したのが遺跡発見の端緒である。昭和二年九月十一日、上記三氏は真野小学校の田辺誉三郎の協力を得て第一回発掘調査を行い、爾後数回に亘って調査を重ね、ほぼ現在見られるような遺跡を発見した。昭和二年、文部省嘱託荻野仲三郎、諸田八百七の調査に続き、翌三年、新潟県史蹟調査委貞斎藤秀平の調査が行なわれ、昭和二八年の斎藤忠博士の調査によって礎石発見が追加されて現在に至っている。

『真野町史(下巻)』(昭和58年3月刊)より
現存する新町の医者で、森医院につい言いのは限科の本間医院である。当主亮敬の祖父高琢(精太郎)が、羽茂の医師北島周琢について医術を学び、その生地西三川で開業したのがはじまりである。
高琢は弘化三(一八四六)年生まれ、老年に及んで新町の周敬宅に移った。大正一三年没、七七歳だった。
二世周敬はその長子、明治十四一月十日生まれである。中学は東京の大成中学校だった。佐渡中学校(現佐渡高校)のできたのが明治二九年だから、その数年前に中学入学適齢期を迎えていたためであろう。のち千葉医学専門学校を卒業し、新町で眼科医院を開業したのは明治三九年二月であった。
周敬は医者であるとともに郷土史家としても著名だった。山本半蔵、今井浤二等と協力して国分寺遺跡をはじめ、古墳その他多くの遺跡を発掘調査し、著書としては『佐渡郷土辞典・佐渡上代史考・佐渡人名辞書・西三川村誌・真野村志』等がある。昭和三九年、八四歳で没した。
周敬の家族には医薬関係の者が多い。周敬の弟孝は千葉医学専門学校を卒業、島倉家に入って東京で開業医となり、その弟豊丸は東京薬学専門学校を出て薬剤師となり、横浜の中井家を継いだ。周敬には二人の男子があった。長男亮敬は明治四〇年生まれ。東北帝国大学医学部卒業、同大学眼科教室に入り、小柳教援の指導をうけた。研究五年の後帰郷、本間眼科医院を継いだ。医学博士である。二男敬爾は金沢大学医学部を出て、両津の山岸医院を継いだ。亮敬の長子亮一は日本大学医学部を卒業、現在埼玉県で開業している。医学博士。

「郷土史壇の人々」(「佐渡の百年」)
2016-10-27

赤泊ゆかりの漫画家魔夜峰央up

2016-10-26

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