2016-03-31
写真(「葛原五雲 明治末の写真」「田村祥男写真絵ハガキ 「佐渡・ひと・くらし」)up しました。
写真(「葛原五雲 明治末の写真」「田村祥男写真絵ハガキ 「佐渡・ひと・くらし」)up
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2016-03-30
2016-03-30
2016-03-29
2016-03-28
新潟国体記念つめ切り(関係者配布) 昭和39年6月

「佐渡名勝」(広告 明治34年)



昭和30年代後半~40年代の佐渡観光全盛期に発売されたレコード









ジョニーウエルズさん
























「佐渡写真帳」

























「佐渡万華鏡」


左より 「22 大正中期 帯や裾回しにも刺繍が施された大正時代のお座敷姿に、当時の艶やかな雰囲気が」 「23 昭和2年 華やかに踊りで“ハアリヤサーサッサー”の手拍子に乗せて、お客たちを喜ばせる」

左より 「26 大正13年 立て縞柄模様の着物姿でボーズをつくる芸者。彼女の部屋には大きな鏡台がある」 「69 大正14年、ラジオの全国放送が始まった当時。貴重品のレコード盤が宝物のようだ大正14年ラジオの全国放送が始まった当時。貴重品のレコード盤が宝物のようだ」

左より 「77 昭和10年 宮脇新潟県知事を迎えるために佐渡牛品評会が行われた。畜産のメンバーが揃う」 「82 大正後期 国仲地方のお葬式では、親族の女性たちが、白い布「イロ着」を被って故人を偲ぶ」

左より 「93 昭和11年 対馬海流の黒潮にあらわれる佐渡の平野部では、降る雪もあまり根雪にならない」 「96 大正11年 新しい物好きな島の人たちには、最先端のレコード音楽を聴くのが流行していた」

左より 「97 大正11年 農夫鈴木甚蔵を写した写真には、お気に入りの“芸術写真”と添え書きがあった」 「98 大正後期 涼しい木影に置かれた乳母車の中で、夢見の子供達は、すでに還暦を過ぎている」

左より 「99 昭和初期 佐渡では、新鮮な海産物が豊富に捕れる 魚の生きが良いのを表現した、静物写真」 「112 昭和初期 「春駒」は佐渡金山全盛期、味方但馬守の顔面神経麻痺をヒヨットコ面がもじった」

左より 「115 大正中期 「世阿弥」が佐渡に流されたのは永享年間神社には、仮設能舞台が用意されている」 「116-A 昭和11年 佐渡各地の盆踊りは毎年8月10日頃から「相川甚句」で踊る太鼓が夜ふけまで続く」

左より 「119 昭和8年 佐渡島は、すぐれた伝統芸能と民謡の宝庫だ。島の風土にはぐくまれて成熟した」 「121 昭和前期 佐渡の子供は大切に育てられる。大輪竹は酒樽のタガ用として現在も出荷される」

左より 「123 昭和10年 佐渡では、地元で良家の子女たちの一般的な愛称は「ビイサン」と呼ばれていた」 「128 昭和2年 男の子は何屋の「カンカン」、女の子は何屋の「ビイサン」の愛称で可愛がられる」

左より 「129 大正後期 大きなカメラで子供を写すのには一苦労だ。よほどのこと信頼されていなければ」 「134 昭和初期 古賀メロディが流行していた良い時代だが、侵略戦争の影がそろそろ漂ってきた」

左より 「136 昭和前期 佐渡で生産される大きな「おけさ西瓜」は昭和の初め頃から、島外出荷されていた」 「138 大正後期 佐渡では伝統的に長男が家督する。次男や三男は、教育をしっかりと身につける」

左より 「139 昭和前期 愛らしい少女が、麦わら帽子と履き替えワラジを持つて道端の野花を摘んでいた」 「144-A 大正12年 約2反歩の田んぼに水を賄うことができる。井戸から水を汲み上げする跳ツルベ」

左より 「145 大正11年 佐渡の穀倉地帯は国仲平野。田植え脇のあぜ道には、ハッタンといわれる道具が」 「147 昭和初期 暁の特急ランナーといわれた吉岡隆徳選手に憧れた青年がスタートの真似をする」

左より 「149 大正後期 山の幸や海の幸を持ちよる村人たちが集まって、物々交換もできる朝市場が立つ」 「152-A 昭和11年 情に厚い佐渡人気質は、冠婚葬祭をはじめ男42歳の厄年にも全財産で接待をする」

左より 「153-A 昭和初期 農家の縁側で糸つむぎ機を使うようすを観察している写真家(与次ヱ門の叔母)」 「153-B 大正15年 農家主婦たちは働き者ばかりだ。お互いに助け合いながら、生活は楽しさも倍加」

左より 「154 大正中期 娘たちは夕食後、夜なべの縄ない(ヒッカケ縄紐)。世間話をしながら、精をだす」 「155 大正後期 佐渡のお盆は月遅れの8月。仏前を飾る品々を求めるために村人達が集まってくる」

左より 「156-B 大正中期 大正5年発行の地図上に、採取してきた場所の位置に「根」を置いて写している」 「157 大正11年 稲掛けは7段から10段掛けが多い。稲束をハザ場まで、荷車で運んできた少年を」

左より 「159-A 大正後期 大正期の佐渡鉱山は、鉱石を運ぶトロッコケーブルが幾台も稼動して活気がある」 「165-A 昭和初期 農業、漁業、商業などについて、佐渡ではいろいろな研究会と、勉強会が開かれる」

左より 「174 昭和13年に漢口が陥落した。軍人・警官、先生を先頭に旗を手にした小学生の行列」 「177 昭和前期 昭和の初めに、新発田歩兵第十六連隊が国仲平野で大規模な軍事演習を展開する」

左より 「183 昭和前期 新発田歩兵十六連隊が冬期雪中演習した応援する子供らが雪の中で歓声を上げる」 「184 昭和前期 戦地に向かう兵士のために、死線越えの祈りをこめて千人針を腹巻に縫う村の人」

左より 「185 昭和前期 勝ってくるぞと勇ましく出征した夫、畑仕事の合間にも、銃後の守りを任される」 「186 昭和初期 娯楽の少なかった時代に、お宮の空地で催される相撲大会は、人々が待ち望んだ」

左より 「190 大正13年に、佐渡を訪れた杉村先生と政治家の尾崎行雄(中)と久保先生(右)」 「193 昭和11年 岡田紅陽・風景写真家。昭和10年頃から佐渡を写し、岩波写真文庫『佐渡』発刊」

左より 「195 昭和8年 牧野富太郎・植物学博士、文化功労者。国際学会に日本初新種ヤマトグサを発表」 「197 昭和初期 山本悌二郎・元農林大臣、台湾精糖社長 日独協会会長。胸像と碑が真野宮に建つ」

左より 「199 昭和9年 吉屋信子・父雄一が佐渡郡長、5歳まで佐渡で育った。多数の小説作品を残した」 「200 昭和初期 久保忠雄?」

左より 「201-C 昭和初期 不祥」 「202 大正11年 栗原一造・宗教家。相川金比羅宮の宮司を務める一方で、吉井小学校長も勤めた」

左より 「203 昭和5年 徳富蘇峰・貴族院議員、帝国学士院会員 民友社を創立して「国民新開」を創刊する」 「204-A 大正13年 土田麦倦・日本画家。佐渡出身、洋画を取り入れた画が有名。国画創作協会創立」

左より 「205-A 昭和初期 柳田国男(左二人目)民俗学研究所設立。民間伝承論など著作多数。文化勲章受賞」 「205-C 昭和10年 山田わか・評論家、婦人運動家。金沢村有識者とバルコニーで。中央の大柄な女性」

左より 「206-A 昭和前期 不祥」 「207-A 昭和前期 不祥」

左「210 昭和4年 入浴のボーズをする近藤福雄の自写像はサロン調の「芸術写真」を志向する時代に」

左「昭和初期 佐渡金山の石臼を徳富蘇峰に送る 30代後半」

左より 「27 大正12年 晩夏の日差しをさけて写真帖を見る芸者さんの背には、大正時代の余裕が伺える」 「30 大正末期から昭和初期頃にかけてのT型フォードは木製ホイールが使われていた」

左より 「83 大正15年7月9日、ご来島された東宮殿下(昭和天皇)を御召艦「生駒」に歓送する」 「87 昭和初期 自然が豊富な佐渡島、清流の小川で小魚の串焼をして、初夏の休日を楽しむ人達」

左より 「101 大正11年 全国的な「佐渡おけさ」は、猫が主人を助けるのに遊女に化けで「おけい節」を謡う」 「106 昭和初期 佐渡の四季は折り目正しい、運ばれてくる祭に合わせて、生活のリズムが変わる」

左より 「122 大正10年 子供たちが着ているのは、晴れ着の正装かもしれない。大正10年頃「西桜浜」で」 「132 大正11年 暖かい綿入れ着物の上に毛糸のチョッキその上に大きなよだれかけを掛けている」

左より 「133 昭和10年 農家の副業に飼育された佐渡牛は、最高級の牛肉として、本土に出荷されていた」 「143 大正後期 囲炉裏の脇で働いている主婦たちを、逆光線で捉えている。(近藤家のアルバム)」

左より「144-B 大正後期 紐を結んだツルベで井戸の水をくみ上げの格好をする女性 。作業着姿にも時代が」 「151 大正中期 明治時代末期から始まった佐渡大謀網漁は、漁獲量を増やす技術改良が行われる」

左より 「152-B 昭和初期 佐渡味噌の宣伝パーティの席に、芸者さんたちも接待サービスの手伝をしにきた」 「158-A 大正10年 農閑期の間は、賃金稼ぎのために冬山から木炭を背負い出す人々の苦労が見える」

左より 「165-C 大正中期 村の年寄りたちからレコード式の録音機を持って、昔ばなしを録音している様子」 「194 昭和初期 有田八郎・昭和初期の外交官、元外務大臣、日独防共協定を締結。相川町の出身」

左より 「201-A 昭和10年 油絵の画家にモデルを頼まれた橘ノブさんの顔には、佐渡人らしい風貌がにじむ」 「201-B 昭和初期 佐渡の海を知りつくしている漁師は、たくましい筋肉を誇っている。半身の裸像」

「204-C 大正13年 大町桂月・文芸評論、詩、紀行文に活躍「鷺や十戸の村の能舞台」と羽茂で詠んだ」

「なつかしの佐渡」(土屋千秋)

「佐渡」(朝日ソノラマ)




佐渡案内写真大集




「佐渡名勝」(広告 明治34年)




昭和30年代後半~40年代の佐渡観光全盛期に発売されたレコード















ジョニーウエルズさん

















































「佐渡写真帳」



















































「佐渡万華鏡」




左より 「22 大正中期 帯や裾回しにも刺繍が施された大正時代のお座敷姿に、当時の艶やかな雰囲気が」 「23 昭和2年 華やかに踊りで“ハアリヤサーサッサー”の手拍子に乗せて、お客たちを喜ばせる」


左より 「26 大正13年 立て縞柄模様の着物姿でボーズをつくる芸者。彼女の部屋には大きな鏡台がある」 「69 大正14年、ラジオの全国放送が始まった当時。貴重品のレコード盤が宝物のようだ大正14年ラジオの全国放送が始まった当時。貴重品のレコード盤が宝物のようだ」


左より 「77 昭和10年 宮脇新潟県知事を迎えるために佐渡牛品評会が行われた。畜産のメンバーが揃う」 「82 大正後期 国仲地方のお葬式では、親族の女性たちが、白い布「イロ着」を被って故人を偲ぶ」


左より 「93 昭和11年 対馬海流の黒潮にあらわれる佐渡の平野部では、降る雪もあまり根雪にならない」 「96 大正11年 新しい物好きな島の人たちには、最先端のレコード音楽を聴くのが流行していた」


左より 「97 大正11年 農夫鈴木甚蔵を写した写真には、お気に入りの“芸術写真”と添え書きがあった」 「98 大正後期 涼しい木影に置かれた乳母車の中で、夢見の子供達は、すでに還暦を過ぎている」


左より 「99 昭和初期 佐渡では、新鮮な海産物が豊富に捕れる 魚の生きが良いのを表現した、静物写真」 「112 昭和初期 「春駒」は佐渡金山全盛期、味方但馬守の顔面神経麻痺をヒヨットコ面がもじった」


左より 「115 大正中期 「世阿弥」が佐渡に流されたのは永享年間神社には、仮設能舞台が用意されている」 「116-A 昭和11年 佐渡各地の盆踊りは毎年8月10日頃から「相川甚句」で踊る太鼓が夜ふけまで続く」


左より 「119 昭和8年 佐渡島は、すぐれた伝統芸能と民謡の宝庫だ。島の風土にはぐくまれて成熟した」 「121 昭和前期 佐渡の子供は大切に育てられる。大輪竹は酒樽のタガ用として現在も出荷される」


左より 「123 昭和10年 佐渡では、地元で良家の子女たちの一般的な愛称は「ビイサン」と呼ばれていた」 「128 昭和2年 男の子は何屋の「カンカン」、女の子は何屋の「ビイサン」の愛称で可愛がられる」


左より 「129 大正後期 大きなカメラで子供を写すのには一苦労だ。よほどのこと信頼されていなければ」 「134 昭和初期 古賀メロディが流行していた良い時代だが、侵略戦争の影がそろそろ漂ってきた」


左より 「136 昭和前期 佐渡で生産される大きな「おけさ西瓜」は昭和の初め頃から、島外出荷されていた」 「138 大正後期 佐渡では伝統的に長男が家督する。次男や三男は、教育をしっかりと身につける」


左より 「139 昭和前期 愛らしい少女が、麦わら帽子と履き替えワラジを持つて道端の野花を摘んでいた」 「144-A 大正12年 約2反歩の田んぼに水を賄うことができる。井戸から水を汲み上げする跳ツルベ」


左より 「145 大正11年 佐渡の穀倉地帯は国仲平野。田植え脇のあぜ道には、ハッタンといわれる道具が」 「147 昭和初期 暁の特急ランナーといわれた吉岡隆徳選手に憧れた青年がスタートの真似をする」


左より 「149 大正後期 山の幸や海の幸を持ちよる村人たちが集まって、物々交換もできる朝市場が立つ」 「152-A 昭和11年 情に厚い佐渡人気質は、冠婚葬祭をはじめ男42歳の厄年にも全財産で接待をする」


左より 「153-A 昭和初期 農家の縁側で糸つむぎ機を使うようすを観察している写真家(与次ヱ門の叔母)」 「153-B 大正15年 農家主婦たちは働き者ばかりだ。お互いに助け合いながら、生活は楽しさも倍加」


左より 「154 大正中期 娘たちは夕食後、夜なべの縄ない(ヒッカケ縄紐)。世間話をしながら、精をだす」 「155 大正後期 佐渡のお盆は月遅れの8月。仏前を飾る品々を求めるために村人達が集まってくる」


左より 「156-B 大正中期 大正5年発行の地図上に、採取してきた場所の位置に「根」を置いて写している」 「157 大正11年 稲掛けは7段から10段掛けが多い。稲束をハザ場まで、荷車で運んできた少年を」


左より 「159-A 大正後期 大正期の佐渡鉱山は、鉱石を運ぶトロッコケーブルが幾台も稼動して活気がある」 「165-A 昭和初期 農業、漁業、商業などについて、佐渡ではいろいろな研究会と、勉強会が開かれる」


左より 「174 昭和13年に漢口が陥落した。軍人・警官、先生を先頭に旗を手にした小学生の行列」 「177 昭和前期 昭和の初めに、新発田歩兵第十六連隊が国仲平野で大規模な軍事演習を展開する」


左より 「183 昭和前期 新発田歩兵十六連隊が冬期雪中演習した応援する子供らが雪の中で歓声を上げる」 「184 昭和前期 戦地に向かう兵士のために、死線越えの祈りをこめて千人針を腹巻に縫う村の人」


左より 「185 昭和前期 勝ってくるぞと勇ましく出征した夫、畑仕事の合間にも、銃後の守りを任される」 「186 昭和初期 娯楽の少なかった時代に、お宮の空地で催される相撲大会は、人々が待ち望んだ」


左より 「190 大正13年に、佐渡を訪れた杉村先生と政治家の尾崎行雄(中)と久保先生(右)」 「193 昭和11年 岡田紅陽・風景写真家。昭和10年頃から佐渡を写し、岩波写真文庫『佐渡』発刊」


左より 「195 昭和8年 牧野富太郎・植物学博士、文化功労者。国際学会に日本初新種ヤマトグサを発表」 「197 昭和初期 山本悌二郎・元農林大臣、台湾精糖社長 日独協会会長。胸像と碑が真野宮に建つ」


左より 「199 昭和9年 吉屋信子・父雄一が佐渡郡長、5歳まで佐渡で育った。多数の小説作品を残した」 「200 昭和初期 久保忠雄?」


左より 「201-C 昭和初期 不祥」 「202 大正11年 栗原一造・宗教家。相川金比羅宮の宮司を務める一方で、吉井小学校長も勤めた」


左より 「203 昭和5年 徳富蘇峰・貴族院議員、帝国学士院会員 民友社を創立して「国民新開」を創刊する」 「204-A 大正13年 土田麦倦・日本画家。佐渡出身、洋画を取り入れた画が有名。国画創作協会創立」


左より 「205-A 昭和初期 柳田国男(左二人目)民俗学研究所設立。民間伝承論など著作多数。文化勲章受賞」 「205-C 昭和10年 山田わか・評論家、婦人運動家。金沢村有識者とバルコニーで。中央の大柄な女性」


左より 「206-A 昭和前期 不祥」 「207-A 昭和前期 不祥」


左「210 昭和4年 入浴のボーズをする近藤福雄の自写像はサロン調の「芸術写真」を志向する時代に」


左「昭和初期 佐渡金山の石臼を徳富蘇峰に送る 30代後半」


左より 「27 大正12年 晩夏の日差しをさけて写真帖を見る芸者さんの背には、大正時代の余裕が伺える」 「30 大正末期から昭和初期頃にかけてのT型フォードは木製ホイールが使われていた」


左より 「83 大正15年7月9日、ご来島された東宮殿下(昭和天皇)を御召艦「生駒」に歓送する」 「87 昭和初期 自然が豊富な佐渡島、清流の小川で小魚の串焼をして、初夏の休日を楽しむ人達」


左より 「101 大正11年 全国的な「佐渡おけさ」は、猫が主人を助けるのに遊女に化けで「おけい節」を謡う」 「106 昭和初期 佐渡の四季は折り目正しい、運ばれてくる祭に合わせて、生活のリズムが変わる」


左より 「122 大正10年 子供たちが着ているのは、晴れ着の正装かもしれない。大正10年頃「西桜浜」で」 「132 大正11年 暖かい綿入れ着物の上に毛糸のチョッキその上に大きなよだれかけを掛けている」


左より 「133 昭和10年 農家の副業に飼育された佐渡牛は、最高級の牛肉として、本土に出荷されていた」 「143 大正後期 囲炉裏の脇で働いている主婦たちを、逆光線で捉えている。(近藤家のアルバム)」


左より「144-B 大正後期 紐を結んだツルベで井戸の水をくみ上げの格好をする女性 。作業着姿にも時代が」 「151 大正中期 明治時代末期から始まった佐渡大謀網漁は、漁獲量を増やす技術改良が行われる」


左より 「152-B 昭和初期 佐渡味噌の宣伝パーティの席に、芸者さんたちも接待サービスの手伝をしにきた」 「158-A 大正10年 農閑期の間は、賃金稼ぎのために冬山から木炭を背負い出す人々の苦労が見える」


左より 「165-C 大正中期 村の年寄りたちからレコード式の録音機を持って、昔ばなしを録音している様子」 「194 昭和初期 有田八郎・昭和初期の外交官、元外務大臣、日独防共協定を締結。相川町の出身」


左より 「201-A 昭和10年 油絵の画家にモデルを頼まれた橘ノブさんの顔には、佐渡人らしい風貌がにじむ」 「201-B 昭和初期 佐渡の海を知りつくしている漁師は、たくましい筋肉を誇っている。半身の裸像」


「204-C 大正13年 大町桂月・文芸評論、詩、紀行文に活躍「鷺や十戸の村の能舞台」と羽茂で詠んだ」

「なつかしの佐渡」(土屋千秋)



「佐渡」(朝日ソノラマ)







佐渡案内写真大集






2016-03-26
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