2010-12-13
板垣竜太の「嫌韓流」の構造」
「板垣竜太の「嫌韓流」の構造]」
(多面体F 集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」)
2008年11月18日 | 集会報告
11月7日東京しごとセンターで「言論状況を考える 韓流と嫌韓流のはざまで」(主催:平和力フォーラム)というセミナーが開催された。この日の講師は板垣竜太さんと米津篤八さんの2人。
わたくしは、なぜこれほど「マンガ嫌韓流」が売れ、ネット上で「反日」「売国奴」「死ね死ね死ね」といった単語が飛び交うのかがよくわからない。この日セミナーに参加したのもその謎解きをしてもらえるかもしれないと考えたからだった。そこで、板垣さんの講演のなかの「嫌韓流」に関する部分を中心に紹介する。
「嫌韓流」と「韓流」「親韓」に通底するもの
板垣竜太さん(同志社大学准教授)
「嫌韓」が表現の場に蔓延している。いまや主流に近いところにまで入っていて、けして無視できない状況になっている。「嫌韓流」は、狭義には3冊合計で公称78万部を販売した山野車輪「マンガ嫌韓流」(晋遊舎2005.9、06.2、07.8)を指す。広義には2ちゃんねるをはじめとするネットやサブカルチャーに広がる「嫌韓流」現象のことである。この「嫌韓流」現象は朝鮮人へのバッシングであり、「拉致」問題や2002年のサッカーワールドカップ、2005年の「反日」デモ報道等を契機にエスカレートしてきた。
「マンガ嫌韓流」の読者は男性66.6%、女性33.3%と男性が多く、年代では30~49歳が42.4%、19~29歳が37.5%と中心を占め、10代は3.6%に留まる。ネットのほうはもっと若い世代が多いと推測される。
このマンガは、メディアや教育の世界は反日分子に占領されているので「真実」を教えようというスタンスで描かれている。描写の面では、集合化された「韓国人」「朝鮮人」を感情的ですぐに切れる民族、逆に日本人をクールで理性的として描き、日本人キャラクターに論破された在日朝鮮人キャラクターはすぐ「ウグググ」となってしまう。著者自身「あえてステレオタイプ化して描いている」と述べている。
そして「韓国人」のなかにも悪いやつと少しマシなやつ(たとえば呉善花や金完燮のような「歴史を直視できる韓国人」)がいるとする。また「一部の在日朝鮮人は非常に悪いことをした」と「一部」という修飾を付けてエクスキューズを試みる。しかしそう言いながら朝鮮人「全体」を攻撃している。
「一部」か「その他多く」かを線引きするのは著者の山野氏であり、日本人のフィルターで振り分けているに過ぎない。この点をガッサン・ハージの「ホワイト・ネイション」を援用して、寛容と不寛容の線引きをし、さじ加減をコントロールするのは空間の管理者である日本人にほかならないと指摘した。「マンガ嫌韓流」の在日朝鮮人のキャラクター「松本光一」は、一家にたとえれば日本人宅の居候なので、奥さんや子どもとは違い「家族会議に参加する資格がない」、そして「他人の家庭を好き勝手にかき回していいわけがない」と、一家をかき回す「他人」として位置づけられる。他人を家に入れるか排除するかは「日本人」が決めるというこのマンガがもつ人種主義や国家観がよく表れている。
「マンガ嫌韓流 公式ガイドブック」によれば、読者の反応は「こんな気持ちのいい本が出たことに本当に感動しています」(35歳女性)、「胸につかえていたモヤモヤがスーッとおりたような気分です」(45歳男性)といったものだ。モヤモヤから解放され「日本人」のプライドを取り戻せたという、嫌韓流の論法に引き込まれた感想である。
なお上記については「『マンガ嫌韓流』と人種主義―国民主義の構造」(「前夜」2007春)に、史実の誤りや誇張の指摘も含め、さらに詳しく分析されている。
次に「韓流」と「嫌韓流」に話が移った。
林香里さんの『「冬ソナ」にハマった私たち』(文春新書 2005.12)のアンケートによると、冬ソナをみて「韓国のイメージが向上した」と答えた人は59.8%に上る。自由回答には「同じアジア人、親近感」「明るい開かれたイメージ」「北と違う、先進国」「怖くないイメージ」といった回答が並ぶ。これは逆にいうと、それまでもっていた韓国のイメージが「異質な外国人、疎遠感」「暗い閉ざされたイメージ」「北朝鮮と同じ、後進国」「少し怖いイメージ」だったことを意味する。いわばヨンさまと将軍さまとのイメージの分断であり、日本社会に存在する「朝鮮人」のイメージと、その否定としての「ヨンさま」を示している。
このあと「韓流」のなかにも「嫌韓流」と通底した論理がみられる事例として小倉紀蔵氏の話に移った。小倉紀蔵氏は「ハングル講座」の講師を務めたこともあり一般には「韓流」理解者にして推進者とみなされている。しかし著書「韓流インパクト」(講談社 2005.7)をみると、ポストモダンの日本は韓国に先行していると発展段階論的に分析し、しかも「右」「左」など冷戦的なカテゴリーを使いながら自らは中立を装っており、「嫌韓流」に似た論理が見られる。
最後に、リベラリズムと嫌韓流というテーマで、一見リベラルと目される朝日新聞社と社会学者・東浩紀の言説へ話が移った。
「竹島に続き、対馬も韓国領土だって?いい加減にしろ、韓国人」、「対馬で韓国人を論破する」という雑誌見出しをみつけた。「正論」や「諸君!」ではない。前者は週刊朝日8月15日号、後者はアエラ8月18日号である。これは「理性なき困った韓国人」「それを論破するクールな日本人」という「嫌韓流」の論理と基本的に同じである。また、前・論説主幹、若宮啓文氏のコラムは05年に竹島(独島)放棄論で話題になったが、その後のコラムを合わせ読むと、連帯する相手は韓国だけで、東アジアの自由主義国どうしで北朝鮮に対抗しようといっているにすぎない。それを阻害するのは「異論を激しく排斥するばかり」「ひとつになって燃える」韓国という論理は、嫌韓流と同じだ。
哲学者・東浩紀氏は嫌韓流を、内容は「嫌韓」であっても、形式は「繋がりの社会性」を求めるコミュニケーションだと、内容と形式を分けた議論をする。また嫌韓=右傾化=軍国主義化と捉えるのは短絡的だという。そして差別者やネット右翼に対して「拡張されたリベラリズム」で臨むしかないと主張する。しかし繋がりの表現がなぜレイシズムなのか説明がない。右傾化=軍国主義化という把握は「右傾化」の意味の矮小化である。レイシズムをどう批判し、変えていくかが問題なのだ。
このように一見、親韓・韓流に近いとみえるサイドにも嫌韓流とそっくりの韓国・朝鮮の見方があることを示した。
米津篤八さん(翻訳家)は朝日新聞の元記者である。「朝日も岩波文化人も終わっている。マスコミ総崩れの状況だ。自分で主宰するブログの体験から、いま一番の希望は30-40代の女性ではないか」と述べた。
嫌韓流の構造についてはわかったが、なぜ納得し賛同する若者がいま増えているのかということは、まだわからなかった。
わたくし京都出身なので小中学校のころどのクラスにも在日の人がいた。容姫さん、永祚君など名前が少し違い、集住して住み、しかも貧しい人も多かったので「違い」はわかった。なかには体が弱い人もいたが、守ってあげようという人が必ずいた。そして1世代あとの子どもの時代になるとカン君、ファソンちゃんなどと呼び、国籍が違うことはわかっていても仲良く絵を描いていて、わたしは日本もやっとここまで来たと思った。
年長の人のなかには石原慎太郎など差別主義者がいることは知っているが、いまの20代、30代にふたたび「特定アジア」の差別主義者が大量に発生しているのはなぜなのか、理由がわからない。
韓国朝鮮問題に限らないことだが、たとえば今年春の学習指導要領改定のパブリックコメント募集ではウヨク勢力からほぼ「同一文面」の意見が大量に送付され、まるで政治運動のよう様相を呈した。増田都子さんの裁判でも沿道で「北朝鮮に帰れ!」などとマイクで街宣されたりしている。また気のせいかもしれないがウィキペディアでもサヨク的な言説はできる限り削除され、ウヨク的な論点は数多く紹介されている。一般の人たちはウヨクが振りまく俗説を「そういうこともあるのか」と素直に受け入れてしまう。
わたしたちは、ウヨクと同じようなやり方はしたくないと思っていたが、ここまで来ると対抗戦略を真剣に考えるべき時点に立っているのかもしれない。
(多面体F 集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」)
2008年11月18日 | 集会報告
11月7日東京しごとセンターで「言論状況を考える 韓流と嫌韓流のはざまで」(主催:平和力フォーラム)というセミナーが開催された。この日の講師は板垣竜太さんと米津篤八さんの2人。
わたくしは、なぜこれほど「マンガ嫌韓流」が売れ、ネット上で「反日」「売国奴」「死ね死ね死ね」といった単語が飛び交うのかがよくわからない。この日セミナーに参加したのもその謎解きをしてもらえるかもしれないと考えたからだった。そこで、板垣さんの講演のなかの「嫌韓流」に関する部分を中心に紹介する。
「嫌韓流」と「韓流」「親韓」に通底するもの
板垣竜太さん(同志社大学准教授)
「嫌韓」が表現の場に蔓延している。いまや主流に近いところにまで入っていて、けして無視できない状況になっている。「嫌韓流」は、狭義には3冊合計で公称78万部を販売した山野車輪「マンガ嫌韓流」(晋遊舎2005.9、06.2、07.8)を指す。広義には2ちゃんねるをはじめとするネットやサブカルチャーに広がる「嫌韓流」現象のことである。この「嫌韓流」現象は朝鮮人へのバッシングであり、「拉致」問題や2002年のサッカーワールドカップ、2005年の「反日」デモ報道等を契機にエスカレートしてきた。
「マンガ嫌韓流」の読者は男性66.6%、女性33.3%と男性が多く、年代では30~49歳が42.4%、19~29歳が37.5%と中心を占め、10代は3.6%に留まる。ネットのほうはもっと若い世代が多いと推測される。
このマンガは、メディアや教育の世界は反日分子に占領されているので「真実」を教えようというスタンスで描かれている。描写の面では、集合化された「韓国人」「朝鮮人」を感情的ですぐに切れる民族、逆に日本人をクールで理性的として描き、日本人キャラクターに論破された在日朝鮮人キャラクターはすぐ「ウグググ」となってしまう。著者自身「あえてステレオタイプ化して描いている」と述べている。
そして「韓国人」のなかにも悪いやつと少しマシなやつ(たとえば呉善花や金完燮のような「歴史を直視できる韓国人」)がいるとする。また「一部の在日朝鮮人は非常に悪いことをした」と「一部」という修飾を付けてエクスキューズを試みる。しかしそう言いながら朝鮮人「全体」を攻撃している。
「一部」か「その他多く」かを線引きするのは著者の山野氏であり、日本人のフィルターで振り分けているに過ぎない。この点をガッサン・ハージの「ホワイト・ネイション」を援用して、寛容と不寛容の線引きをし、さじ加減をコントロールするのは空間の管理者である日本人にほかならないと指摘した。「マンガ嫌韓流」の在日朝鮮人のキャラクター「松本光一」は、一家にたとえれば日本人宅の居候なので、奥さんや子どもとは違い「家族会議に参加する資格がない」、そして「他人の家庭を好き勝手にかき回していいわけがない」と、一家をかき回す「他人」として位置づけられる。他人を家に入れるか排除するかは「日本人」が決めるというこのマンガがもつ人種主義や国家観がよく表れている。
「マンガ嫌韓流 公式ガイドブック」によれば、読者の反応は「こんな気持ちのいい本が出たことに本当に感動しています」(35歳女性)、「胸につかえていたモヤモヤがスーッとおりたような気分です」(45歳男性)といったものだ。モヤモヤから解放され「日本人」のプライドを取り戻せたという、嫌韓流の論法に引き込まれた感想である。
なお上記については「『マンガ嫌韓流』と人種主義―国民主義の構造」(「前夜」2007春)に、史実の誤りや誇張の指摘も含め、さらに詳しく分析されている。
次に「韓流」と「嫌韓流」に話が移った。
林香里さんの『「冬ソナ」にハマった私たち』(文春新書 2005.12)のアンケートによると、冬ソナをみて「韓国のイメージが向上した」と答えた人は59.8%に上る。自由回答には「同じアジア人、親近感」「明るい開かれたイメージ」「北と違う、先進国」「怖くないイメージ」といった回答が並ぶ。これは逆にいうと、それまでもっていた韓国のイメージが「異質な外国人、疎遠感」「暗い閉ざされたイメージ」「北朝鮮と同じ、後進国」「少し怖いイメージ」だったことを意味する。いわばヨンさまと将軍さまとのイメージの分断であり、日本社会に存在する「朝鮮人」のイメージと、その否定としての「ヨンさま」を示している。
このあと「韓流」のなかにも「嫌韓流」と通底した論理がみられる事例として小倉紀蔵氏の話に移った。小倉紀蔵氏は「ハングル講座」の講師を務めたこともあり一般には「韓流」理解者にして推進者とみなされている。しかし著書「韓流インパクト」(講談社 2005.7)をみると、ポストモダンの日本は韓国に先行していると発展段階論的に分析し、しかも「右」「左」など冷戦的なカテゴリーを使いながら自らは中立を装っており、「嫌韓流」に似た論理が見られる。
最後に、リベラリズムと嫌韓流というテーマで、一見リベラルと目される朝日新聞社と社会学者・東浩紀の言説へ話が移った。
「竹島に続き、対馬も韓国領土だって?いい加減にしろ、韓国人」、「対馬で韓国人を論破する」という雑誌見出しをみつけた。「正論」や「諸君!」ではない。前者は週刊朝日8月15日号、後者はアエラ8月18日号である。これは「理性なき困った韓国人」「それを論破するクールな日本人」という「嫌韓流」の論理と基本的に同じである。また、前・論説主幹、若宮啓文氏のコラムは05年に竹島(独島)放棄論で話題になったが、その後のコラムを合わせ読むと、連帯する相手は韓国だけで、東アジアの自由主義国どうしで北朝鮮に対抗しようといっているにすぎない。それを阻害するのは「異論を激しく排斥するばかり」「ひとつになって燃える」韓国という論理は、嫌韓流と同じだ。
哲学者・東浩紀氏は嫌韓流を、内容は「嫌韓」であっても、形式は「繋がりの社会性」を求めるコミュニケーションだと、内容と形式を分けた議論をする。また嫌韓=右傾化=軍国主義化と捉えるのは短絡的だという。そして差別者やネット右翼に対して「拡張されたリベラリズム」で臨むしかないと主張する。しかし繋がりの表現がなぜレイシズムなのか説明がない。右傾化=軍国主義化という把握は「右傾化」の意味の矮小化である。レイシズムをどう批判し、変えていくかが問題なのだ。
このように一見、親韓・韓流に近いとみえるサイドにも嫌韓流とそっくりの韓国・朝鮮の見方があることを示した。
米津篤八さん(翻訳家)は朝日新聞の元記者である。「朝日も岩波文化人も終わっている。マスコミ総崩れの状況だ。自分で主宰するブログの体験から、いま一番の希望は30-40代の女性ではないか」と述べた。
嫌韓流の構造についてはわかったが、なぜ納得し賛同する若者がいま増えているのかということは、まだわからなかった。
わたくし京都出身なので小中学校のころどのクラスにも在日の人がいた。容姫さん、永祚君など名前が少し違い、集住して住み、しかも貧しい人も多かったので「違い」はわかった。なかには体が弱い人もいたが、守ってあげようという人が必ずいた。そして1世代あとの子どもの時代になるとカン君、ファソンちゃんなどと呼び、国籍が違うことはわかっていても仲良く絵を描いていて、わたしは日本もやっとここまで来たと思った。
年長の人のなかには石原慎太郎など差別主義者がいることは知っているが、いまの20代、30代にふたたび「特定アジア」の差別主義者が大量に発生しているのはなぜなのか、理由がわからない。
韓国朝鮮問題に限らないことだが、たとえば今年春の学習指導要領改定のパブリックコメント募集ではウヨク勢力からほぼ「同一文面」の意見が大量に送付され、まるで政治運動のよう様相を呈した。増田都子さんの裁判でも沿道で「北朝鮮に帰れ!」などとマイクで街宣されたりしている。また気のせいかもしれないがウィキペディアでもサヨク的な言説はできる限り削除され、ウヨク的な論点は数多く紹介されている。一般の人たちはウヨクが振りまく俗説を「そういうこともあるのか」と素直に受け入れてしまう。
わたしたちは、ウヨクと同じようなやり方はしたくないと思っていたが、ここまで来ると対抗戦略を真剣に考えるべき時点に立っているのかもしれない。
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2010-12-02
池上裕子「信長の全国統一の評価はおかしい」(池上裕子成蹊大名誉教授 2013/07/28(東京新聞)
池上裕子 いけがみひろこ 成蹊大学文学部教授を長く務め、現在は名誉教授。2000年、著書「戦国時代社会構造の研究」で、第22回角川源義賞を受賞した。専門は戦国時代、中近世移行期の社会経済史。201
2年12月に出版した吉川弘文館の人物叢書シリーズの「織田信長」で、構成の英雄視を再考し、等身大の姿を提示したとして話題を呼んだ。主な著書に「戦国の群像」(集英社)「織豊政権と江戸幕府」(講談社)があ
る。学習漫画「日本の歴史」(集英社)の監修も手掛けている。
天下統一に邁進した織田信長を革命家のごとく英雄視する後世の評価を再考
織田信長 (人物叢書)
乱世に平和をもたらすため、全国統一に邁進した英雄。歴史学者・池上裕子さん(65)は近著「織田信長」(吉川弘文館)でそんな信長像を覆した。世間でいわれるような高い理想があったわけではなく、京都を押さ
えつつ自国拡大の為に戦ったに過ぎなかったと。しかも等身大の信長像には、安倍晋三首相との共通点もあるという。(勝間田秀樹記者)
◇信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった
記者:池上さんが見る信長とはどんな人物でしょう。
池上:支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従
するものだけを編成していった。それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい。関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です。でも農民をどう支配するか、武士全体をどうしてい
くかという全国区の政策は信長にはない。だから統一政権とは言えないと思う。
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。でも若い人は「割といいんじゃない」と言ってくれて
る。歴史学者って案外、権力者が好きなんです。統一政権を打ち立てたことを評価する。戦国時代は乱れた時代で、統一が正しいように言う。戦国の世は確かに戦争が頻発し、安定しなかった。でも統一を実現する軍事力を持つ権力者こそが素晴らしい、という評価はおかしい。
記者:信長に抵抗した人はたくさんいました。
池上:たくさんいた。戦国大名、一向一揆とか。なぜそれほど抵抗が大きかったのか。室町幕府の全国支配がうまくいかなくなって戦国大名が成立してくる。各地に地域権力が生まれ、農村では村という共同体が成立
していった。いろんなレベルで地域社会ができ始めていた。信長は外から、それをどんどん壊そうとした。だから地域の人たちは強く抵抗した。信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった。そう考
えないといけない。「抵抗した側には歴史の先を見る目がなかった」と評価を下す人が結構います。支配者は歴史の進むべき方向が見えていたと。それは違うと思う。
信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配
の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。
記者:支配する側、される側。双方を見るべきだというのが池上さんの持論です。
池上:戦後の歴史学は抵抗した側、民衆をきちんと見ようとしました。今は歴史学者が全体的に保守化したんですかね。「権力者は民衆の支持を受けたから支配できたのだ」と、抵抗した側を切り捨てるところがある。
特に最近三十年はそういう傾向が強まったように思える。研究が細分化し、大きくモノを見る目が弱まったのかしれません。私みたいに戦後間もなく生まれ、まだ貧しかった社会を生きた世代と、なんとなく豊かな社会
に生まれ育った世代との差なのかもしれません。
記者:著書で、信長は、百姓・村とは正面から正面から向き合わなかったと指摘しました。
池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。です
から農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。信長は各地の支配を重臣に任せ、その重臣たちが各地でいろんな政策を試みました。信長
自身がやったことはありません。
記者:池上さんが農民とか、支配される側に目を向ける原点はどこに。
池上:実家は新潟県佐渡市の農家で、田植え、稲刈りも手伝いました。農民の生活はある程度わかっているし、村という共同体の状況も大体わかります。どのくらい田畑を持っていれば、どんな生活が成り立つか。あんまり成り立たないんですけど。村のみんなで水路をいくつも造り、その先をそれぞれの田んぼに分けていく。そういう共同作業がありながら、みんなが仲良く暮らしているわけではなく、それなりに大変だということも知っています。
村人が生産にどう携わり、家や家族をどう成り立たせていたか。地域はどうつながっていたのか。権力者は資料も多く、研究成果も得られやすい。村のことを調べようとすると資料は少なく難しい。でも民衆を知りたい。
記者:「歴女」ブームをどう見られていますか。
池上:歴史も結構調べていて、いろんなところに足を運んでいる。それはいい。でも割と簡単に、素敵でカッコイイ武将のイメージをつくっちゃいますよね。歴史学者として「ちょっと違うんじゃないの」と言わなくちゃいけない。
戦国武将に憧れるのに危うさは感じるから。本当にその武将が考えたことや実際に取った行動と、随分違うイメージを抱いてしまいかねない。未来が見え、強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか。そんあヒーローみたいな人間って、実際はいないんじゃないでしょうか。
家康だって信長、秀吉の二人を見ながら政策を作った。試行錯誤するのが生身の人間です。ただのイメージは負の面が大きい。リーダーシップがありそうな人に無批判についていってしまうとか。自分自身で物事を決めることが疎かになりかねない。
記者:今の権力者といえば、参院選で圧勝した安倍さんですね。
池上:一回失敗しているから何を言えば支持を得られるか、非常に考えたのでしょう。景気が良くなりそうだという期待を多くの人が持ち、安倍さんが自信たっぷりに「良くなる」と夢を持たせた。参院選で勝てばしめたものと。でもこれから、怖いことがいろいろ待っていると思います。
信長は自分の家臣、特に尾張、美濃出身の武士と商人にはどんどん恩恵を授け、明るい未来を提供した。それ以外の地域の人に期待はないし、信長と戦わなければならない立場に追い込んでいったんですよね。似
たようなところがあるかもしれない。安倍さんもお金持ち、保守層には、明るい未来を語りかけていますから。
でも批判的立場から発せられた声、意見に安倍さんはどう対応しているでしょう。今だって東日本大震災の被災者にきちんと政権が対応できているとはいえない。安倍さんも福島に行くけど本当に困った人たちに対応しているか。再出発の足掛かりも得られない被災者がいる。立場の違う、いろんな人の生活を成り立たせていく方策を考えないといけないはずです。
※インタビューを終えて 「私はこれまで『英雄』の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきた」。自著「織田信長」のはしがきで池上さんはそう記した。インタビューでも、「専制君主のような人が嫌いなんです」ときっぱりと語った。支配される弱い側の思いを、支配者の研究を通じて汲み取りたい。そんな思いが滲む。春に大学の定年を迎えた。今、研究したい人物を尋ねると「戦国から江戸にかけての村の様子を知りたい」と即答が返ってきた。池上さんの関心は歴史上の特定の人物(著名人)ではなく、あくまで名もなき民衆にあるのだとあらためて思い知らされた。
2年12月に出版した吉川弘文館の人物叢書シリーズの「織田信長」で、構成の英雄視を再考し、等身大の姿を提示したとして話題を呼んだ。主な著書に「戦国の群像」(集英社)「織豊政権と江戸幕府」(講談社)があ
る。学習漫画「日本の歴史」(集英社)の監修も手掛けている。
天下統一に邁進した織田信長を革命家のごとく英雄視する後世の評価を再考
織田信長 (人物叢書)
乱世に平和をもたらすため、全国統一に邁進した英雄。歴史学者・池上裕子さん(65)は近著「織田信長」(吉川弘文館)でそんな信長像を覆した。世間でいわれるような高い理想があったわけではなく、京都を押さ
えつつ自国拡大の為に戦ったに過ぎなかったと。しかも等身大の信長像には、安倍晋三首相との共通点もあるという。(勝間田秀樹記者)
◇信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった
記者:池上さんが見る信長とはどんな人物でしょう。
池上:支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従
するものだけを編成していった。それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい。関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です。でも農民をどう支配するか、武士全体をどうしてい
くかという全国区の政策は信長にはない。だから統一政権とは言えないと思う。
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。でも若い人は「割といいんじゃない」と言ってくれて
る。歴史学者って案外、権力者が好きなんです。統一政権を打ち立てたことを評価する。戦国時代は乱れた時代で、統一が正しいように言う。戦国の世は確かに戦争が頻発し、安定しなかった。でも統一を実現する軍事力を持つ権力者こそが素晴らしい、という評価はおかしい。
記者:信長に抵抗した人はたくさんいました。
池上:たくさんいた。戦国大名、一向一揆とか。なぜそれほど抵抗が大きかったのか。室町幕府の全国支配がうまくいかなくなって戦国大名が成立してくる。各地に地域権力が生まれ、農村では村という共同体が成立
していった。いろんなレベルで地域社会ができ始めていた。信長は外から、それをどんどん壊そうとした。だから地域の人たちは強く抵抗した。信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった。そう考
えないといけない。「抵抗した側には歴史の先を見る目がなかった」と評価を下す人が結構います。支配者は歴史の進むべき方向が見えていたと。それは違うと思う。
信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配
の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。
記者:支配する側、される側。双方を見るべきだというのが池上さんの持論です。
池上:戦後の歴史学は抵抗した側、民衆をきちんと見ようとしました。今は歴史学者が全体的に保守化したんですかね。「権力者は民衆の支持を受けたから支配できたのだ」と、抵抗した側を切り捨てるところがある。
特に最近三十年はそういう傾向が強まったように思える。研究が細分化し、大きくモノを見る目が弱まったのかしれません。私みたいに戦後間もなく生まれ、まだ貧しかった社会を生きた世代と、なんとなく豊かな社会
に生まれ育った世代との差なのかもしれません。
記者:著書で、信長は、百姓・村とは正面から正面から向き合わなかったと指摘しました。
池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。です
から農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。信長は各地の支配を重臣に任せ、その重臣たちが各地でいろんな政策を試みました。信長
自身がやったことはありません。
記者:池上さんが農民とか、支配される側に目を向ける原点はどこに。
池上:実家は新潟県佐渡市の農家で、田植え、稲刈りも手伝いました。農民の生活はある程度わかっているし、村という共同体の状況も大体わかります。どのくらい田畑を持っていれば、どんな生活が成り立つか。あんまり成り立たないんですけど。村のみんなで水路をいくつも造り、その先をそれぞれの田んぼに分けていく。そういう共同作業がありながら、みんなが仲良く暮らしているわけではなく、それなりに大変だということも知っています。
村人が生産にどう携わり、家や家族をどう成り立たせていたか。地域はどうつながっていたのか。権力者は資料も多く、研究成果も得られやすい。村のことを調べようとすると資料は少なく難しい。でも民衆を知りたい。
記者:「歴女」ブームをどう見られていますか。
池上:歴史も結構調べていて、いろんなところに足を運んでいる。それはいい。でも割と簡単に、素敵でカッコイイ武将のイメージをつくっちゃいますよね。歴史学者として「ちょっと違うんじゃないの」と言わなくちゃいけない。
戦国武将に憧れるのに危うさは感じるから。本当にその武将が考えたことや実際に取った行動と、随分違うイメージを抱いてしまいかねない。未来が見え、強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか。そんあヒーローみたいな人間って、実際はいないんじゃないでしょうか。
家康だって信長、秀吉の二人を見ながら政策を作った。試行錯誤するのが生身の人間です。ただのイメージは負の面が大きい。リーダーシップがありそうな人に無批判についていってしまうとか。自分自身で物事を決めることが疎かになりかねない。
記者:今の権力者といえば、参院選で圧勝した安倍さんですね。
池上:一回失敗しているから何を言えば支持を得られるか、非常に考えたのでしょう。景気が良くなりそうだという期待を多くの人が持ち、安倍さんが自信たっぷりに「良くなる」と夢を持たせた。参院選で勝てばしめたものと。でもこれから、怖いことがいろいろ待っていると思います。
信長は自分の家臣、特に尾張、美濃出身の武士と商人にはどんどん恩恵を授け、明るい未来を提供した。それ以外の地域の人に期待はないし、信長と戦わなければならない立場に追い込んでいったんですよね。似
たようなところがあるかもしれない。安倍さんもお金持ち、保守層には、明るい未来を語りかけていますから。
でも批判的立場から発せられた声、意見に安倍さんはどう対応しているでしょう。今だって東日本大震災の被災者にきちんと政権が対応できているとはいえない。安倍さんも福島に行くけど本当に困った人たちに対応しているか。再出発の足掛かりも得られない被災者がいる。立場の違う、いろんな人の生活を成り立たせていく方策を考えないといけないはずです。
※インタビューを終えて 「私はこれまで『英雄』の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきた」。自著「織田信長」のはしがきで池上さんはそう記した。インタビューでも、「専制君主のような人が嫌いなんです」ときっぱりと語った。支配される弱い側の思いを、支配者の研究を通じて汲み取りたい。そんな思いが滲む。春に大学の定年を迎えた。今、研究したい人物を尋ねると「戦国から江戸にかけての村の様子を知りたい」と即答が返ってきた。池上さんの関心は歴史上の特定の人物(著名人)ではなく、あくまで名もなき民衆にあるのだとあらためて思い知らされた。
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