2021-01-10
★讃岐永直
『佐渡流人史』(郷土出版社)より
阿波権掾外従五位下 嘉祥元(八四八)佐渡に配流。和気斎之の不敬に座し配流。嘉祥三年(八五〇)赦免。のち従五位下守大判事兼明法博士となり貞観四年、八〇歳没。 (『続日本後紀』『三代実録』)
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
阿波権橡従五位下であった。嘉祥(八四八年)十二月に和気斉之の不敬事件に関係して佐渡に流され翌年許された。(越佐史料)
★佐野喜平次
山本半右衛門家系図(「佐渡郷土文化」136号 山本修巳)
『新潟県官民肖像録』(明治41年)

『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
両津町夷 ・明4、第八回衆議院議員選挙[三十六年三月一日]・明4、佐渡政友会員の会合[三十六年六月十四日]
「両津港の歴史」 (『両津町史』(昭和44年)より)
★佐野小夜子(守義妻)
「明治の左翼文壇」(「佐渡の百年」)
★佐野曻平(しょうへい)
歌集「雪庇」(昭和35年 橋短歌会)に佐渡を詠ったものがでる。作者は十八歳頃から「にいわら」「一路」「創生」を経て昭和32年「橋」に参加、平成5年から同誌の選者を務める。「橋」の先達のなかでは横田専一の影響を特に受けた。ある時期短歌に懐疑したこともあるが、見附・長岡・小出の友人らと同人誌「牛耳」を発刊 (7号で終刊) し、歌作に真向かう。「新潟県文学全集(資料編)」(1997年)
★佐野龍雄
佐渡病院初代院長。退職後、相川羽田町で開業した。昭和54年没、76歳。

「金井を創った百人」(金井町 平成12年)より



「佐渡病院の草創期」
「島の新聞」索引(人名別)
★佐野忠吉
『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
明治十年生 両津町夷 ・大1、渡部七十郎縣会議員を争はんとす[四年九月二十五日]・大3、第十九回新潟縣會議員選挙[十二年九月二十五日]・大4、秦豊助の遊説[十四年十一月十四日]・大4、佐渡タイムスの擬國會と山本悌二郎[十五年四月二十二日]・昭2、第十七回衆議院議員選挙[五年二月二十日]

★佐野久雄
「躍進日本」

★佐野平吉
『佐渡人名辞書』(本間周敬 大正4年3月刊)

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
佐渡相川の人、鉄砲師の株をもち銀山坑山の水換車師であったので車屋といった。後に江戸へ出て仏師を学んだ。仏弟子とならなけれはその妙をきわめることが出来ないと考え瑞仙寺の徒弟となった。生まれつき左ききでぁった。明治十二年七月に七三才でなくなった。(佐渡人名辞書)
★佐野平次
『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
・明3、政友会新潟支部の発会式[三十三年十二月二日
★佐野増太郎
「手わざ図鑑」

★佐野わか子
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐野わか子 140 俳句鑑賞
★三郎兵衛
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
善行著。佐渡国鷲崎村(両津市)の人である。奇特の趣相聞につき、文政十三年(一八三〇年)に役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。(佐渡年代記中巻)
★佐平次
『佐渡人名辞書』(本間周敬 大正4年3月刊)

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
書家。佐渡河原田の人である。雲竹流の書をよくし、書をもって牧野駿河守につかえたという。姓は不明。(佐渡人名辞書)
★さや
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国野浦村善七の妻である。舅姑に仕えて孝養を尽くしたので、文化八年(一八一一年)役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。この時、佐渡奉行金沢瀬兵衛は
心さし深く染たる小衣の あさや錦に立まさるらん と詠じた。(佐渡年代記中巻)
★佐山加寿子


両津高校時代の1979年度(S54)6月、第1席美術展賞
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山加寿子
116 神楽巫女として生きる 140 「歌の彩時記」 馬場あき子『雪鬼華麗』 152 評論 馬場あき子の佐渡ー歌集『記憶の森の時間』「佐渡」より考察ー
※「佐渡ジャーナル」関係記事:「57号」(平成31年4月)・いきる(佐山加寿子) vol.18(蘭丸)
★佐山香代子




平成29年3月2日

歌人俳人として知られ、新潟日報「島の文芸」では俳句の選者を長く担当する。新穂牛尾神社宮司佐山勇(大業、書家)の妻。
昭和6年、新穂長畝の中川家生。令和4年(2022)11月没、91歳。佐渡農学校卒。
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山香代子
10 新穂※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)瑞穂句会について 100 「朱鷺の句碑」に寄せて 119 佐山香代子句集『能舞台』抄 山本修巳
★佐山國蔵
潟上、牛尾神社宮司。
(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)

佐山元丸ー国蔵-勇と代々牛尾神社の宮司職。国蔵は旧両津市椿の榛白(はんぱく)家から入り、勇も又榛白家の出で榛白八十八の弟である。
★佐山甚五郎
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山甚五郎 52 連載 閑々亭雑記 (11) 「かごかき」佐山甚五郎の墓あと 山本修之助
★佐山静庵
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山静庵 86 「つぶろさし」と「つぶろ」
★佐山大業(勇)
新穂潟上出身の高名な書家。小中学校の教諭、牛尾神社宮司。相撲が好きで、中学生に指導をしていた。
『新穂村史』(昭和51年刊)より
新穂の書家は、潟上の稲葉事、牛尾神社宮司土屋一丸(号は賢継)、瓜生産の石塚照(号卓堂)、潟上の後藤与作(壷中庵)、大野の小杉猪吉(号は悟東)等があり現存では潟上の佐山大業を師に土屋甚平(号桂石)、本多正吉(号彰雲)、渡辺健三郎(号竹翠)、河原治一(号思秋)、本間忠雄(号越堂)、雑賀栄助(号雨石)等があり、子弟を集めて教えているものもある。
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山大業(勇)
4 昭和51年 佐渡の書道界 10 昭和52年度 佐渡の書道界あれこれ 15 生椿物語 16 昭和53年 佐渡の書道界 21 昭和54年度 佐渡の書道界 43 佐山大業君を悼む 山本修之助 46 佐山大業遺墨集 出版 山本修之助
※佐山元丸ー国蔵-勇と代々牛尾神社の宮司職。国蔵は旧両津市椿の榛白(はんぱく)家から入り、勇も又榛白家の出で榛白八十八の弟である。
『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年刊)

★佐山武雄
「佐渡ふるさと百科」

★佐山眞理子
新穂潟上出身の書家で牛尾神社宮司。書家の佐山大業、歌人俳人の香代子は両親である。
★佐山元丸
『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年刊)

佐山元丸ー国蔵-勇と代々牛尾神社の宮司職。国蔵は旧両津市椿の榛白(はんぱく)家から入り、勇も又榛白家の出で榛白八十八の弟である。
★佐与次
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国相川下京町名立杢兵衛の二男である。両親へ孝心に仕う趣相聞るに付、弘化四年(一八四七年)に役所から鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記下巻)
★佐与助
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国相川大間町の人である。親に仕えてよく孝養を尽くしたので、文政五年(一八二二年)に役所へ呼出され、鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記中巻)
★左与ノ一
相川姫津の人、文弥節語り。文化3年没。
「人形座の人々」(「佐渡の百年」)
★更科源蔵
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)更科源蔵
2 鑑賞 佐渡のうた (12) 山田花作・野口雨情・更科源蔵 山本修巳 7 石仏の島 8 外海府 詩 9 更科源蔵先生を悼みて 中村久子
★更級(さらしな)哲次
『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
・大4、郡吏惜別会[十五年六月十九日]
★猿方微→猿方微(えんほうび)
★さわ
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国相川坂下町の人である。よく孝養を尽くしたので、文政五年(一八二二年)役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。(佐渡年代記中巻)
★澤幸吉
『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)

★沢スヘ
羽茂の宗教・寺社・信仰 「近現代の羽茂」

★沢井小左衛門
『新穂村史』(昭和51年)より
「佐渡年代記」に正保四年「亥年新穂村の銀山請負の山主沢井小左衛門、岡本長左衛門と云者自分入用を以古間歩普請致し其上新切山三ケ所取立る可く江戸表へ伺い願の通り申し付べき旨順斎より申来る」とある。慶長から正保にかけて山師の往来がさかんであり、(新穂)銀山が大いに稼がれたことが推則される。
★沢口梅吉
『小木町史』(下)より
昭和にはいって、小樽から職人を招いてご用寵をつくった。また同氏が宿根木出身の有田さんを金沢村新保の同志団より招いて文庫を製作したことが、現在の真竹細工の基礎になった。昭和五年ころ、やはり本間武司さん(明治屋)が東京から団扇立てを持ち帰って製作をはじめました。昭和八年ころ、ザルの不況にともない、塚原徹町長の努力で、大阪の高島屋デパートヘ一万枚のザルを送って販売したこと、また、信用組合で、関東、関西方面ヘザル販売員に和衛門(沢口梅吉)、川の端(末武博次)、源屋(中川種次)を派遣したことも今は昔の語り草とをってしまいました。なお、そのとき中川氏が持ち帰った〝ソバフリ″は今でも一部に製作されています。
★澤栗浩明

★沢崎村久五郎
(『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊))

★沢崎村名主吉三郎
(『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊))


★澤田敏之

★澤田久尚
『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)

★佐和田米(さわたよね)
新潟県佐渡市在住の中学生マンガ家。新作が、5月1日(火)発売の「りぼん6月号」(集英社)に掲載されます。佐和田先生は昨年集英社より発売された、りぼん夏の大増刊号「りぼんスペシャル オレンジ」に掲載した『キュルリッテ』でマンガ家デビュー。同年秋には、りぼん秋の大増刊号「りぼんスペシャル リアル」で『見つけたら、おしえて』を掲載し、当時若干14歳ながら立て続けに作品掲載を果たした若手マンガ家です.
■いつ頃から「マンガを描こう!」と思うようになりましたか?きっかけは何かありましたか?
⇒小学5年生の時、りぼん小学生まんが大賞の募集があったからです。「小学生だし、出すしかない!」と思い、第2回の小学生まんが大賞に初めて出しました。なぜか第1回は見送ってしまいました。
■Q3:初めて描いた作品について伺います。どんな内容でしたか?
⇒魔女や人魚などが集まる学校で、色々なことをやっている漫画だったと思います。確か下描き一回で描いたものだったと思います。今思えば、荒削りな作品だった感じがします。
■Q4:あこがれているマンガ家さんや作品がありましたら教えて下さい。
⇒津山ちなみ先生です。4コマ漫画を15年も描き続けるなんてすごいと思います。
右端が本人

★佐渡稔(さわたりみのる)

「ウィキペディア」より
本名:田中 実(たなか・みのる)、1949年5月22日 -。新潟県佐渡市出身の日本の俳優。血液型A型。旧芸名『三木 まうす』。
劇団東京ヴォードヴィルショー、オフィスボードビル所属。芸名の「佐渡」は出身地の新潟県佐渡市(さどし)にちなむこともあって「さど みのる」と呼ばれることも多い。
・来歴・人物:劇団東京ヴォードヴィルショーの看板役者として活動。同劇団の最古参メンバーでもある。若い頃は『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』で、下宿の学生さん、および彼が変身するピンクボーイを演じていた。コント中は「田中さん」と呼称、テロップには「まうす田中」と表記されていた。1980年に現在の名前に改名。唯一劇団東京ヴォードヴィルショーの公演に全出演を果たしている(代表の佐藤B作ですら果たしていない記録)。劇団活動が軌道に乗るにつれ、以後はテレビへの露出も増えていった。『ロボット8ちゃん』へのゲスト出演の皮切りに、石ノ森章太郎作品に続々とレギュラー出演。東映作品への出演は劇団内で最も多い。自身の風貌からドラキュラ役での出演が多いのも特徴。また三谷幸喜作品への出演も数多く、常連の1人(『合い言葉は勇気』をはじめ、三谷脚本の舞台に出演)。三谷からは「僕は佐渡さんが好きなんですよ。あの向上心のかけらもないところが」(もちろん三谷流のジョークである)と、あるDVD特典映像で真顔でコメントされている。『君の名は』では方言指導も担当していた。
・出演作品
・テレビドラマ: NHK 翔ぶが如く(1990年) - 岡崎恭助 君の名は(1991年) - 西川主任 新選組!(2004年) - 大場一真斎
柳生十兵衛七番勝負(2005年) - 奥原弥五郎
八重の桜(2013年) - 阿部正外
日本テレビ 外科医有森冴子(2000年) - 杉田事務長
愛情イッポン!(2004年)
サムライハイスクール(2009年)
火曜サスペンス劇場 「新・女検事 霞夕子4」(1995年) - 石川真
「救急指定病院 (テレビドラマ)10」(1999年) - 二階堂靖
「軽井沢ミステリー1」(2001年) - 山城民夫
火曜ドラマゴールド 「女検事・霞夕子」(2006 - 2007年) - 須藤浩一
TBS ママはアイドル(1987年)
仮面ライダーBLACK RX(1988 - 1989年) ‐ 速水隼人
ウルトラマンティガ(1997年) - 超古代人・ヌーク
独身生活(1999年)
こちら本池上署(2002年) - 五十嵐浩二
星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉(2005年)
幸せになりたい!(2005年) ‐ 澤口修
水戸黄門 第42部(2010年)
月曜ドラマスペシャル 「税務調査官・窓際太郎の事件簿1」(1998年)
「ホステス探偵危機一髪2」(2000年)
月曜ミステリー劇場 「十津川警部シリーズ (渡瀬恒彦)25」(2002年) - 安藤英夫
月曜ゴールデン 「血痕 警科研・湯川愛子の鑑定ファイル4」(2013年) - 藤永耕平
フジテレビ ロボット8ちゃん(1981年) - ドラキュラ
バッテンロボ丸(1982 - 1983年) - 比間田会長
ペットントン(1983 - 1984年) - 畑ナス夫
TVオバケてれもんじゃ(1985年) - 林カブト
ゲゲゲの鬼太郎(1985年) - 吸血鬼・エリート
スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説(1985年) - 坂崎三郎
ギョーカイ君が行く!(1987年)
オレの妹急上昇(1987年) - 亀山課長
花のあすか組!(1988年) - 九楽昨造
有言実行三姉妹シュシュトリアン(1993年) - 山吹英三郎
お金がない!(1994年) - 川瀬宏明
古畑任三郎(1994年) - 保木プロデューサー
銭形平次(1995年)
TEAM (テレビドラマ)(1999年) - 直人の父
古畑任三郎(1999年) - 岩田大介
女同士(2000年)
合い言葉は勇気(2000年) - 黒崎プロデューサー
マルサ!!東京国税局査察部(2003年) - 大河原義光
不毛地帯(2010年) - 大田医師
パーフェクト・リポート(2010年) - 水谷守
リーガル・ハイ(2012年) - 岡部幸男
ストロベリーナイト(2013年) - 大柴係長
金曜エンタテイメント 「OL三人旅シリーズ3」(1987年) - 田川亮二
「美人三姉妹温泉芸者が行く!2」(1996年) - 鎌田秀明
「おばさんデカ 桜乙女の事件帖10」(2002年) - 小田刑事
金曜プレステージ 「浅見光彦シリーズ33」(2009年)
「浅見光彦シリーズ41」(2011年) - 磯部刑事
世にも奇妙な物語 「殺し屋ですのよ」(2004年) - 山下部長
テレビ朝日 七人の女弁護士(1993年) - 津山啓一
最高の恋人(1995年) - 小田嶋医師
救急戦隊ゴーゴーファイブ(1999年) - 岩倉賢
特命係長・只野仁(2003年)
霊感バスガイド事件簿(2004年) - 田村武雄
魔法戦隊マジレンジャー(2005年) - 映画監督
富豪刑事(2006年) - 長岡悟
名奉行! 大岡越前(2006年) - 三之助
相棒(2007年) ‐ 篠田和明
スシ王子!(2007年) ‐ 小田島務
わるいやつら(2007年) - 横武常次郎
名探偵の掟(2009年) - 牛神貞治
アンタッチャブル〜事件記者・鳴海遼子〜(2009年) - 瀬名駿
警視庁捜査一課9係(2011年) - 佐倉武史
土曜ワイド劇場 「タクシードライバーの推理日誌9」(1998年) - 桜井達夫
「バツイチ駆け込み尼寺探偵局」(1999年) - 清水洋
「タクシードライバーの推理日誌16」(2002年) - 牛山刑事
「松本清張没後10年記念・黒の奔流」(2002年)
「おかしな二人2」(2002年) - 宇田幸一
「おかしな刑事」(2005年 ‐ ) - 星田耕介
「鉄道捜査官8」(2007年) - 三浦刑事
「タクシードライバーの推理日誌33」(2013年) ‐ 溝口善三
テレビ東京 月曜・女のサスペンス 列島縦断事件シリーズ「蒸発美人妻殺人事件」(1991年)
女と愛とミステリー 「てのひらの闇」(2001年) - 杉野邦夫
「多摩南署たたき上げ刑事・近松丙吉1」(2001年)
水曜ミステリー9 「さすらい署長 風間昭平3」(2005年) - 河上昭弘
「捜査検事・近松茂道12」(2012年) - 田中庄治
・映画: THE 有頂天ホテル(2006年) - 顔面蒼白のタクシー運転手 BABY BABY BABY! -ベイビィ ベイビィ ベイビィ-(2009年) - 塚田編集長 相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜(2010年) - 鶴岡小太郎 空の境界(2013年) - 鮫島
・舞台: 竜馬の妻とその夫と愛人(2000年)
・バラエティ
オレたちひょうきん族
お化けのサンバ
オールスター忠臣蔵まつり
佐渡高校時代の42.6.9-11、陸上競技県高校結合体育大会(新潟市)110mH3位
42.6.24~25、陸上競技全国高校結合体育大会北信越地区予選会(金沢市)110mHl位
42.7.31-8.4、陸上競技全国高校結合体育大会(福井県)110mH出場
42.11.12 、陸上競技110mH高校全国ランキング13位により、県高体連より表彰を受け る
河原田諏訪町生まれ、実家は田中畳屋。
※「佐渡ジャーナル」関係記事:「37号」(平成26年4月)グラフ佐度(・俳優 佐渡稔さんが故郷で初舞台)
★沢根の甚助
『赤泊村誌(上)』より
江戸時代の始め、相川金銀山の繁栄にわく頃、佐渡の沢根にいた大廻船業者。
★沢根町多三郎外一人
(『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊))

★沢根
→「佐渡の苗字」→「沢根と潟上」参照
★沢根甚助
『佐和田町史』(資料編上巻 昭和57年)

『佐和田町史(通史編Ⅱ)』(平成3年)より」
沢根町の成立については、慶長元年とする説(『佐渡旧記』)、慶長三年説(専得寺文書)または四年説があり一定しない。しかし、戦国時代の末期にはすでに大船屋半右衛門、沢根甚助などの廻船業者が
活躍していたと思われ、港町らしい景観を整えつつあったに相違ない。大船屋は家号が示すように大船を持つ海運業老であるが、慶長七年(四年とも)には鶴子の専得寺跡へ移った(「専得寺文書」)。この頃、沢根湊には甚助という海運業老の居たことが記録に残る。甚助は慶長三年(一五九八)七月、豊臣氏の御用杉材を秋田から敦賀まで新潟や出雲崎の廻船問屋と輸送の任に当っている(東北大学所蔵「秋田家文書」)。このように見ると、すでに中世末にほ鶴子銀山の繁栄にともない大船屋や甚助が沢板湊を根拠として活躍して居たことが推測される。
★沢根の入海(3代目)→村田房之助
★沢根永州
「戦国佐渡国人名辞典」より
【さわねえいしゅう(15??~15??)】沢根賢密の男。官途は摂津守。別名本間左馬助。1589年、「羽茂城の戦い」では、長尾景勝勢して羽茂高統勢と戦った。羽茂高統と羽茂高頼は捕縛され斬頸に処された。長尾景勝勢に属した本間左馬助、潟上城主潟上秀高、雑太城主本間憲泰、久和城主久和泰時らととも所領を没収され、越後国に転封させられた。
★沢根賢密(はるみつ)
「戦国佐渡国人名辞典」より
【さわねはるみつ(15??~15??)】雑太郡沢根城主。河原田宣家の次男。官途は摂津守。別名本間賢密。二見半島を領地として鶴子銀山、積出湊を領有して豊かな経済力を有して沢根城(二見、米郷、稲鯨、橘、高瀬、大浦、鹿伏、五十里、同本郷、田中、西五十里、東五十里)1,850石を領した。
★澤村明享(はるゆき)
佐渡市地域おこし協力隊員、大阪府堺市浜寺出身、竜谷大卒。

新潟日報 h28年5月7日 佐渡市報

「シマイル」


新潟日報(otona+大崎)
★沢村勝
『山里の人びと』(昭和57年 大崎郷土史研究会)より
大崎の人、昭和四年(一九二九)藤川忠治が発刊した歌誌「歌と評論」の同人。次の歌がある。初孫の記念に植えし杉伐りて孫の車の車庫建てんとす
★さん
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
長寿者。佐渡国本屋敷村五左衛門の母である。文政十二年(一八二九年)にさん外六人が九十五才になったので、役所では老養扶持を与えられた。(佐渡年代記中巻)
★さん
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
長寿者。佐渡国東鵜島村(両津市)次郎左衛門の母である。文政十一年(一八四〇年)に九十五才以上になり長寿につき、役所から老養扶持を与えられた。(佐渡年代記中巻)
★三右衛門
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
善行者。佐渡国上中興村(金井町)の百姓である。農業に精を出し上納物に油断なく質朴であるので、文政五年(一八二二年)に役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。(佐渡年代記中巻)
★三渓和尚(興禅寺)
『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊)

★三左衛門→江戸三左衛門(えどさんざえもん)
★三如上人
『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊)


『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
佐渡小木の人で名は日全で三如院といった。猪股嘉兵衛の子である。安隆寺の擁護院日新(日逢ともいう)について得度し、後に下総(千葉県)岩富の長福寺の住職となり、また香取の長満寺に転住した。和歌をよくしすぐれたものが多い。天明元年(一七八一年)に七十八才でなくなった。(佐渡人物志、佐渡人名辞書)
★山椒太夫
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)山椒太夫 97 オペラ「安寿物語」回想 間島喜之
★三蔵
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
善行者。佐渡国真光寺村(佐和田町)の人である。奇特之趣相聞るに付、嘉永四年(一八五一年)七月三日に役所から鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記下巻)
★三太郎
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国赤泊村の人である。孝心奇特之趣相聞るに付、天保十四年(一八四三年)に役所から鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記下巻)
『佐渡流人史』(郷土出版社)より
阿波権掾外従五位下 嘉祥元(八四八)佐渡に配流。和気斎之の不敬に座し配流。嘉祥三年(八五〇)赦免。のち従五位下守大判事兼明法博士となり貞観四年、八〇歳没。 (『続日本後紀』『三代実録』)
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
阿波権橡従五位下であった。嘉祥(八四八年)十二月に和気斉之の不敬事件に関係して佐渡に流され翌年許された。(越佐史料)
★佐野喜平次
山本半右衛門家系図(「佐渡郷土文化」136号 山本修巳)
『新潟県官民肖像録』(明治41年)

『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
両津町夷 ・明4、第八回衆議院議員選挙[三十六年三月一日]・明4、佐渡政友会員の会合[三十六年六月十四日]
「両津港の歴史」 (『両津町史』(昭和44年)より)
★佐野小夜子(守義妻)
「明治の左翼文壇」(「佐渡の百年」)
★佐野曻平(しょうへい)
歌集「雪庇」(昭和35年 橋短歌会)に佐渡を詠ったものがでる。作者は十八歳頃から「にいわら」「一路」「創生」を経て昭和32年「橋」に参加、平成5年から同誌の選者を務める。「橋」の先達のなかでは横田専一の影響を特に受けた。ある時期短歌に懐疑したこともあるが、見附・長岡・小出の友人らと同人誌「牛耳」を発刊 (7号で終刊) し、歌作に真向かう。「新潟県文学全集(資料編)」(1997年)
★佐野龍雄
佐渡病院初代院長。退職後、相川羽田町で開業した。昭和54年没、76歳。

「金井を創った百人」(金井町 平成12年)より



「佐渡病院の草創期」
「島の新聞」索引(人名別)
★佐野忠吉
『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
明治十年生 両津町夷 ・大1、渡部七十郎縣会議員を争はんとす[四年九月二十五日]・大3、第十九回新潟縣會議員選挙[十二年九月二十五日]・大4、秦豊助の遊説[十四年十一月十四日]・大4、佐渡タイムスの擬國會と山本悌二郎[十五年四月二十二日]・昭2、第十七回衆議院議員選挙[五年二月二十日]


★佐野久雄
「躍進日本」

★佐野平吉
『佐渡人名辞書』(本間周敬 大正4年3月刊)

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
佐渡相川の人、鉄砲師の株をもち銀山坑山の水換車師であったので車屋といった。後に江戸へ出て仏師を学んだ。仏弟子とならなけれはその妙をきわめることが出来ないと考え瑞仙寺の徒弟となった。生まれつき左ききでぁった。明治十二年七月に七三才でなくなった。(佐渡人名辞書)
★佐野平次
『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
・明3、政友会新潟支部の発会式[三十三年十二月二日
★佐野増太郎
「手わざ図鑑」

★佐野わか子
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐野わか子 140 俳句鑑賞
★三郎兵衛
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
善行著。佐渡国鷲崎村(両津市)の人である。奇特の趣相聞につき、文政十三年(一八三〇年)に役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。(佐渡年代記中巻)
★佐平次
『佐渡人名辞書』(本間周敬 大正4年3月刊)

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
書家。佐渡河原田の人である。雲竹流の書をよくし、書をもって牧野駿河守につかえたという。姓は不明。(佐渡人名辞書)
★さや
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国野浦村善七の妻である。舅姑に仕えて孝養を尽くしたので、文化八年(一八一一年)役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。この時、佐渡奉行金沢瀬兵衛は
心さし深く染たる小衣の あさや錦に立まさるらん と詠じた。(佐渡年代記中巻)
★佐山加寿子


両津高校時代の1979年度(S54)6月、第1席美術展賞
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山加寿子
116 神楽巫女として生きる 140 「歌の彩時記」 馬場あき子『雪鬼華麗』 152 評論 馬場あき子の佐渡ー歌集『記憶の森の時間』「佐渡」より考察ー
※「佐渡ジャーナル」関係記事:「57号」(平成31年4月)・いきる(佐山加寿子) vol.18(蘭丸)
★佐山香代子




平成29年3月2日

歌人俳人として知られ、新潟日報「島の文芸」では俳句の選者を長く担当する。新穂牛尾神社宮司佐山勇(大業、書家)の妻。
昭和6年、新穂長畝の中川家生。令和4年(2022)11月没、91歳。佐渡農学校卒。
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山香代子
10 新穂※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)瑞穂句会について 100 「朱鷺の句碑」に寄せて 119 佐山香代子句集『能舞台』抄 山本修巳
★佐山國蔵
潟上、牛尾神社宮司。
(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)

佐山元丸ー国蔵-勇と代々牛尾神社の宮司職。国蔵は旧両津市椿の榛白(はんぱく)家から入り、勇も又榛白家の出で榛白八十八の弟である。
★佐山甚五郎
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山甚五郎 52 連載 閑々亭雑記 (11) 「かごかき」佐山甚五郎の墓あと 山本修之助
★佐山静庵
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山静庵 86 「つぶろさし」と「つぶろ」
★佐山大業(勇)
新穂潟上出身の高名な書家。小中学校の教諭、牛尾神社宮司。相撲が好きで、中学生に指導をしていた。
『新穂村史』(昭和51年刊)より
新穂の書家は、潟上の稲葉事、牛尾神社宮司土屋一丸(号は賢継)、瓜生産の石塚照(号卓堂)、潟上の後藤与作(壷中庵)、大野の小杉猪吉(号は悟東)等があり現存では潟上の佐山大業を師に土屋甚平(号桂石)、本多正吉(号彰雲)、渡辺健三郎(号竹翠)、河原治一(号思秋)、本間忠雄(号越堂)、雑賀栄助(号雨石)等があり、子弟を集めて教えているものもある。
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)佐山大業(勇)
4 昭和51年 佐渡の書道界 10 昭和52年度 佐渡の書道界あれこれ 15 生椿物語 16 昭和53年 佐渡の書道界 21 昭和54年度 佐渡の書道界 43 佐山大業君を悼む 山本修之助 46 佐山大業遺墨集 出版 山本修之助
※佐山元丸ー国蔵-勇と代々牛尾神社の宮司職。国蔵は旧両津市椿の榛白(はんぱく)家から入り、勇も又榛白家の出で榛白八十八の弟である。
『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年刊)



★佐山武雄
「佐渡ふるさと百科」

★佐山眞理子
新穂潟上出身の書家で牛尾神社宮司。書家の佐山大業、歌人俳人の香代子は両親である。
★佐山元丸
『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年刊)

佐山元丸ー国蔵-勇と代々牛尾神社の宮司職。国蔵は旧両津市椿の榛白(はんぱく)家から入り、勇も又榛白家の出で榛白八十八の弟である。
★佐与次
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国相川下京町名立杢兵衛の二男である。両親へ孝心に仕う趣相聞るに付、弘化四年(一八四七年)に役所から鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記下巻)
★佐与助
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国相川大間町の人である。親に仕えてよく孝養を尽くしたので、文政五年(一八二二年)に役所へ呼出され、鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記中巻)
★左与ノ一
相川姫津の人、文弥節語り。文化3年没。
「人形座の人々」(「佐渡の百年」)
★更科源蔵
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)更科源蔵
2 鑑賞 佐渡のうた (12) 山田花作・野口雨情・更科源蔵 山本修巳 7 石仏の島 8 外海府 詩 9 更科源蔵先生を悼みて 中村久子
★更級(さらしな)哲次
『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
・大4、郡吏惜別会[十五年六月十九日]
★猿方微→猿方微(えんほうび)
★さわ
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国相川坂下町の人である。よく孝養を尽くしたので、文政五年(一八二二年)役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。(佐渡年代記中巻)
★澤幸吉
『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)

★沢スヘ
羽茂の宗教・寺社・信仰 「近現代の羽茂」

★沢井小左衛門
『新穂村史』(昭和51年)より
「佐渡年代記」に正保四年「亥年新穂村の銀山請負の山主沢井小左衛門、岡本長左衛門と云者自分入用を以古間歩普請致し其上新切山三ケ所取立る可く江戸表へ伺い願の通り申し付べき旨順斎より申来る」とある。慶長から正保にかけて山師の往来がさかんであり、(新穂)銀山が大いに稼がれたことが推則される。
★沢口梅吉
『小木町史』(下)より
昭和にはいって、小樽から職人を招いてご用寵をつくった。また同氏が宿根木出身の有田さんを金沢村新保の同志団より招いて文庫を製作したことが、現在の真竹細工の基礎になった。昭和五年ころ、やはり本間武司さん(明治屋)が東京から団扇立てを持ち帰って製作をはじめました。昭和八年ころ、ザルの不況にともない、塚原徹町長の努力で、大阪の高島屋デパートヘ一万枚のザルを送って販売したこと、また、信用組合で、関東、関西方面ヘザル販売員に和衛門(沢口梅吉)、川の端(末武博次)、源屋(中川種次)を派遣したことも今は昔の語り草とをってしまいました。なお、そのとき中川氏が持ち帰った〝ソバフリ″は今でも一部に製作されています。
★澤栗浩明

★沢崎村久五郎
(『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊))

★沢崎村名主吉三郎
(『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊))


★澤田敏之


★澤田久尚
『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)

★佐和田米(さわたよね)
新潟県佐渡市在住の中学生マンガ家。新作が、5月1日(火)発売の「りぼん6月号」(集英社)に掲載されます。佐和田先生は昨年集英社より発売された、りぼん夏の大増刊号「りぼんスペシャル オレンジ」に掲載した『キュルリッテ』でマンガ家デビュー。同年秋には、りぼん秋の大増刊号「りぼんスペシャル リアル」で『見つけたら、おしえて』を掲載し、当時若干14歳ながら立て続けに作品掲載を果たした若手マンガ家です.
■いつ頃から「マンガを描こう!」と思うようになりましたか?きっかけは何かありましたか?
⇒小学5年生の時、りぼん小学生まんが大賞の募集があったからです。「小学生だし、出すしかない!」と思い、第2回の小学生まんが大賞に初めて出しました。なぜか第1回は見送ってしまいました。
■Q3:初めて描いた作品について伺います。どんな内容でしたか?
⇒魔女や人魚などが集まる学校で、色々なことをやっている漫画だったと思います。確か下描き一回で描いたものだったと思います。今思えば、荒削りな作品だった感じがします。
■Q4:あこがれているマンガ家さんや作品がありましたら教えて下さい。
⇒津山ちなみ先生です。4コマ漫画を15年も描き続けるなんてすごいと思います。
右端が本人




★佐渡稔(さわたりみのる)



「ウィキペディア」より
本名:田中 実(たなか・みのる)、1949年5月22日 -。新潟県佐渡市出身の日本の俳優。血液型A型。旧芸名『三木 まうす』。
劇団東京ヴォードヴィルショー、オフィスボードビル所属。芸名の「佐渡」は出身地の新潟県佐渡市(さどし)にちなむこともあって「さど みのる」と呼ばれることも多い。
・来歴・人物:劇団東京ヴォードヴィルショーの看板役者として活動。同劇団の最古参メンバーでもある。若い頃は『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』で、下宿の学生さん、および彼が変身するピンクボーイを演じていた。コント中は「田中さん」と呼称、テロップには「まうす田中」と表記されていた。1980年に現在の名前に改名。唯一劇団東京ヴォードヴィルショーの公演に全出演を果たしている(代表の佐藤B作ですら果たしていない記録)。劇団活動が軌道に乗るにつれ、以後はテレビへの露出も増えていった。『ロボット8ちゃん』へのゲスト出演の皮切りに、石ノ森章太郎作品に続々とレギュラー出演。東映作品への出演は劇団内で最も多い。自身の風貌からドラキュラ役での出演が多いのも特徴。また三谷幸喜作品への出演も数多く、常連の1人(『合い言葉は勇気』をはじめ、三谷脚本の舞台に出演)。三谷からは「僕は佐渡さんが好きなんですよ。あの向上心のかけらもないところが」(もちろん三谷流のジョークである)と、あるDVD特典映像で真顔でコメントされている。『君の名は』では方言指導も担当していた。
・出演作品
・テレビドラマ: NHK 翔ぶが如く(1990年) - 岡崎恭助 君の名は(1991年) - 西川主任 新選組!(2004年) - 大場一真斎
柳生十兵衛七番勝負(2005年) - 奥原弥五郎
八重の桜(2013年) - 阿部正外
日本テレビ 外科医有森冴子(2000年) - 杉田事務長
愛情イッポン!(2004年)
サムライハイスクール(2009年)
火曜サスペンス劇場 「新・女検事 霞夕子4」(1995年) - 石川真
「救急指定病院 (テレビドラマ)10」(1999年) - 二階堂靖
「軽井沢ミステリー1」(2001年) - 山城民夫
火曜ドラマゴールド 「女検事・霞夕子」(2006 - 2007年) - 須藤浩一
TBS ママはアイドル(1987年)
仮面ライダーBLACK RX(1988 - 1989年) ‐ 速水隼人
ウルトラマンティガ(1997年) - 超古代人・ヌーク
独身生活(1999年)
こちら本池上署(2002年) - 五十嵐浩二
星野仙一物語 〜亡き妻へ贈る言葉(2005年)
幸せになりたい!(2005年) ‐ 澤口修
水戸黄門 第42部(2010年)
月曜ドラマスペシャル 「税務調査官・窓際太郎の事件簿1」(1998年)
「ホステス探偵危機一髪2」(2000年)
月曜ミステリー劇場 「十津川警部シリーズ (渡瀬恒彦)25」(2002年) - 安藤英夫
月曜ゴールデン 「血痕 警科研・湯川愛子の鑑定ファイル4」(2013年) - 藤永耕平
フジテレビ ロボット8ちゃん(1981年) - ドラキュラ
バッテンロボ丸(1982 - 1983年) - 比間田会長
ペットントン(1983 - 1984年) - 畑ナス夫
TVオバケてれもんじゃ(1985年) - 林カブト
ゲゲゲの鬼太郎(1985年) - 吸血鬼・エリート
スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説(1985年) - 坂崎三郎
ギョーカイ君が行く!(1987年)
オレの妹急上昇(1987年) - 亀山課長
花のあすか組!(1988年) - 九楽昨造
有言実行三姉妹シュシュトリアン(1993年) - 山吹英三郎
お金がない!(1994年) - 川瀬宏明
古畑任三郎(1994年) - 保木プロデューサー
銭形平次(1995年)
TEAM (テレビドラマ)(1999年) - 直人の父
古畑任三郎(1999年) - 岩田大介
女同士(2000年)
合い言葉は勇気(2000年) - 黒崎プロデューサー
マルサ!!東京国税局査察部(2003年) - 大河原義光
不毛地帯(2010年) - 大田医師
パーフェクト・リポート(2010年) - 水谷守
リーガル・ハイ(2012年) - 岡部幸男
ストロベリーナイト(2013年) - 大柴係長
金曜エンタテイメント 「OL三人旅シリーズ3」(1987年) - 田川亮二
「美人三姉妹温泉芸者が行く!2」(1996年) - 鎌田秀明
「おばさんデカ 桜乙女の事件帖10」(2002年) - 小田刑事
金曜プレステージ 「浅見光彦シリーズ33」(2009年)
「浅見光彦シリーズ41」(2011年) - 磯部刑事
世にも奇妙な物語 「殺し屋ですのよ」(2004年) - 山下部長
テレビ朝日 七人の女弁護士(1993年) - 津山啓一
最高の恋人(1995年) - 小田嶋医師
救急戦隊ゴーゴーファイブ(1999年) - 岩倉賢
特命係長・只野仁(2003年)
霊感バスガイド事件簿(2004年) - 田村武雄
魔法戦隊マジレンジャー(2005年) - 映画監督
富豪刑事(2006年) - 長岡悟
名奉行! 大岡越前(2006年) - 三之助
相棒(2007年) ‐ 篠田和明
スシ王子!(2007年) ‐ 小田島務
わるいやつら(2007年) - 横武常次郎
名探偵の掟(2009年) - 牛神貞治
アンタッチャブル〜事件記者・鳴海遼子〜(2009年) - 瀬名駿
警視庁捜査一課9係(2011年) - 佐倉武史
土曜ワイド劇場 「タクシードライバーの推理日誌9」(1998年) - 桜井達夫
「バツイチ駆け込み尼寺探偵局」(1999年) - 清水洋
「タクシードライバーの推理日誌16」(2002年) - 牛山刑事
「松本清張没後10年記念・黒の奔流」(2002年)
「おかしな二人2」(2002年) - 宇田幸一
「おかしな刑事」(2005年 ‐ ) - 星田耕介
「鉄道捜査官8」(2007年) - 三浦刑事
「タクシードライバーの推理日誌33」(2013年) ‐ 溝口善三
テレビ東京 月曜・女のサスペンス 列島縦断事件シリーズ「蒸発美人妻殺人事件」(1991年)
女と愛とミステリー 「てのひらの闇」(2001年) - 杉野邦夫
「多摩南署たたき上げ刑事・近松丙吉1」(2001年)
水曜ミステリー9 「さすらい署長 風間昭平3」(2005年) - 河上昭弘
「捜査検事・近松茂道12」(2012年) - 田中庄治
・映画: THE 有頂天ホテル(2006年) - 顔面蒼白のタクシー運転手 BABY BABY BABY! -ベイビィ ベイビィ ベイビィ-(2009年) - 塚田編集長 相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜(2010年) - 鶴岡小太郎 空の境界(2013年) - 鮫島
・舞台: 竜馬の妻とその夫と愛人(2000年)
・バラエティ
オレたちひょうきん族
お化けのサンバ
オールスター忠臣蔵まつり
佐渡高校時代の42.6.9-11、陸上競技県高校結合体育大会(新潟市)110mH3位
42.6.24~25、陸上競技全国高校結合体育大会北信越地区予選会(金沢市)110mHl位
42.7.31-8.4、陸上競技全国高校結合体育大会(福井県)110mH出場
42.11.12 、陸上競技110mH高校全国ランキング13位により、県高体連より表彰を受け る
河原田諏訪町生まれ、実家は田中畳屋。
※「佐渡ジャーナル」関係記事:「37号」(平成26年4月)グラフ佐度(・俳優 佐渡稔さんが故郷で初舞台)
★沢根の甚助
『赤泊村誌(上)』より
江戸時代の始め、相川金銀山の繁栄にわく頃、佐渡の沢根にいた大廻船業者。
★沢根町多三郎外一人
(『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊))

★沢根
→「佐渡の苗字」→「沢根と潟上」参照
★沢根甚助
『佐和田町史』(資料編上巻 昭和57年)

『佐和田町史(通史編Ⅱ)』(平成3年)より」
沢根町の成立については、慶長元年とする説(『佐渡旧記』)、慶長三年説(専得寺文書)または四年説があり一定しない。しかし、戦国時代の末期にはすでに大船屋半右衛門、沢根甚助などの廻船業者が
活躍していたと思われ、港町らしい景観を整えつつあったに相違ない。大船屋は家号が示すように大船を持つ海運業老であるが、慶長七年(四年とも)には鶴子の専得寺跡へ移った(「専得寺文書」)。この頃、沢根湊には甚助という海運業老の居たことが記録に残る。甚助は慶長三年(一五九八)七月、豊臣氏の御用杉材を秋田から敦賀まで新潟や出雲崎の廻船問屋と輸送の任に当っている(東北大学所蔵「秋田家文書」)。このように見ると、すでに中世末にほ鶴子銀山の繁栄にともない大船屋や甚助が沢板湊を根拠として活躍して居たことが推測される。
★沢根の入海(3代目)→村田房之助
★沢根永州
「戦国佐渡国人名辞典」より
【さわねえいしゅう(15??~15??)】沢根賢密の男。官途は摂津守。別名本間左馬助。1589年、「羽茂城の戦い」では、長尾景勝勢して羽茂高統勢と戦った。羽茂高統と羽茂高頼は捕縛され斬頸に処された。長尾景勝勢に属した本間左馬助、潟上城主潟上秀高、雑太城主本間憲泰、久和城主久和泰時らととも所領を没収され、越後国に転封させられた。
★沢根賢密(はるみつ)
「戦国佐渡国人名辞典」より
【さわねはるみつ(15??~15??)】雑太郡沢根城主。河原田宣家の次男。官途は摂津守。別名本間賢密。二見半島を領地として鶴子銀山、積出湊を領有して豊かな経済力を有して沢根城(二見、米郷、稲鯨、橘、高瀬、大浦、鹿伏、五十里、同本郷、田中、西五十里、東五十里)1,850石を領した。
★澤村明享(はるゆき)
佐渡市地域おこし協力隊員、大阪府堺市浜寺出身、竜谷大卒。

新潟日報 h28年5月7日 佐渡市報


「シマイル」


新潟日報(otona+大崎)
★沢村勝
『山里の人びと』(昭和57年 大崎郷土史研究会)より
大崎の人、昭和四年(一九二九)藤川忠治が発刊した歌誌「歌と評論」の同人。次の歌がある。初孫の記念に植えし杉伐りて孫の車の車庫建てんとす
★さん
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
長寿者。佐渡国本屋敷村五左衛門の母である。文政十二年(一八二九年)にさん外六人が九十五才になったので、役所では老養扶持を与えられた。(佐渡年代記中巻)
★さん
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
長寿者。佐渡国東鵜島村(両津市)次郎左衛門の母である。文政十一年(一八四〇年)に九十五才以上になり長寿につき、役所から老養扶持を与えられた。(佐渡年代記中巻)
★三右衛門
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
善行者。佐渡国上中興村(金井町)の百姓である。農業に精を出し上納物に油断なく質朴であるので、文政五年(一八二二年)に役所へ呼出され、鳥目を与えられて賞された。(佐渡年代記中巻)
★三渓和尚(興禅寺)
『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊)

★三左衛門→江戸三左衛門(えどさんざえもん)
★三如上人
『佐渡人物志』(萩野由之 昭和2年10月刊)


『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
佐渡小木の人で名は日全で三如院といった。猪股嘉兵衛の子である。安隆寺の擁護院日新(日逢ともいう)について得度し、後に下総(千葉県)岩富の長福寺の住職となり、また香取の長満寺に転住した。和歌をよくしすぐれたものが多い。天明元年(一七八一年)に七十八才でなくなった。(佐渡人物志、佐渡人名辞書)
★山椒太夫
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)山椒太夫 97 オペラ「安寿物語」回想 間島喜之
★三蔵
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
善行者。佐渡国真光寺村(佐和田町)の人である。奇特之趣相聞るに付、嘉永四年(一八五一年)七月三日に役所から鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記下巻)
★三太郎
『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)より
孝子。佐渡国赤泊村の人である。孝心奇特之趣相聞るに付、天保十四年(一八四三年)に役所から鳥目を与えられて褒賞された。(佐渡年代記下巻)
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