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2021-01-09

★小泊元道
「戦国佐渡国人名辞典」より
羽茂高茂家臣。通称新七。参考文献:「くらのすけ屋敷」byくらのすけ。

★小西藤七
大阪人。明治26年、白瀬川尻に摺附木製造所を建設した。

★小西来山
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小西来山 69 連載 閑々亭雑記 (21)  小西来山の「彼岸」の書幅 山本修之助
※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小西来山 69 連載 閑々亭雑記 (21)  小西来山の「彼岸」の書幅 山本修之助

★小橋敞徳
こば小橋敞徳
「サイエンスプロジェクト」(令和4年7月31日 「ひとの話」)(本間芳則・本間希樹・渡辺和弘 司会:小橋敞徳)
佐渡青年会議所理事長
小橋家は羽茂村山の羽茂村山の香傳寺住職。

★小長谷利助
『新潟県官民肖像録』(明治41年) 
こは小長谷利助 新潟県官民肖像録 明治41年

★小葉田淳(こばたあつし)
【生没】一九○五ー二○○一 国史学者・鉱山史の権威・文学博士。明治三十八年四月、福井県坂井郡丸岡町に生まれた。昭和三年京都帝大の史学科を卒業し、台北大助教授を経て、東京文理大・京都大学などの教授を歴任した。『日本貨幣流通史』『日本鉱山史の研究』など、多くの著書がある。昭和四十四年(一九六九)、第五九回日本学士院賞を受賞、同五十一年に学士院会員に選ばれた。のち住友史料館長・財団法人冷泉家時雨亭文庫常任理事などを勤めている。佐渡へは二十六年八月、両津市和木の「川上家文書」の調査に来島、また三十一年十一月、相川町の瑞仙寺に保管されている、「味方家文書」(新潟市・味方重憲蔵)の調査なども行なった。味方家の先祖が、家康などから拝領したという胴衣・扇子のほか、初代味方但馬の肖像画などが、この調査によっておおやけにされる。佐渡鉱山に関係した論考では、大久保長安時代の、水銀製錬法に言及した「日本鉱業史に及ぼせる西洋技術に就いての新発見」(昭和二十七年)・「味方但馬と割間歩」(同四十年)・「近世・佐渡の鋳銭と産銅」(同五十八年)・「佐渡鋳造の金銀貨、とくに印銀通用について」(同六十年)などが主として知られる。平成七年四月、佐渡鉱山の大立公園内に、「千の渓、百の岩の秀色、史乗に煌々として光を留む」(訳文)と記した、小葉田自筆の文学碑が建設された。日本最大級の同鉱山への讃歌である。平成十三年八月八日九六歳で没。
【執筆者】本間寅雄 (相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』より)
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※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小葉田淳 45 近世、領域通用の特殊の貨幣-とくに佐渡の印銀について-
「ウィキペディア」より
小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)
日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。
・来歴: 福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市)生まれ。1922年に福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)、1925年に第四高等学校を卒業の後、1928年に京都帝国大学文学部史学科を卒業、堺市史編纂部嘱託となる。
1930年台北帝国大学文政学部講師、同助教授となり、1944年、応召。陸軍中尉に至る。1946年、国立台湾大学副教授としてとどまり、同年解除、帰国。1947年、京都大学文学博士、 「中世日支通交貿易史の研究」、 「東京文理科大学文学部および京都大学文学部講師となり、1949年より京都大学文学部教授。1969年に定年退職して名誉教授の称号を授与され、龍谷大学文学部教授。同年、「日本鉱山史の研究」で日本学士院賞を受賞、1976年には学士院会員に選ばれた。
1971年に龍谷大学を退職して京都女子大学教授、1981年から財団法人冷泉家時雨亭文庫常任理事、1987年から住友史料館館長もつとめる。1996年、文化功労者、2000年、丸岡町名誉町民。2001年、急性循環器不全のため96歳で死去。
・業績: 貨幣史、鉱山史、外交貿易、交通史など、それまで検討が充分になされていなかった新しい分野に取り組み成果をあげた。その蔵書約2万点が坂井市立丸岡図書館に寄贈され、2004年に小葉田淳記念文庫として一般公開された。
・著書: 『日本貨幣流通史』 刀江書院、1930年 『中世南島通交貿易史の研究』 日本評論社、1939年 『中世日支通交貿易史の研究』 刀江書院、1941年 『史説日本と南支那』 野田書房、1942年 『海南島史』 東都書房台北支店、1943年 『日本と金銀島』 創元社、1943年 『鉱山の歴史』 至文堂、1956年 『日本の貨幣』 至文堂、1958年 『日本鉱山史の研究』 岩波書店、1968年 『金銀貿易史の研究』 法政大学出版局、1976年 『日本経済史の研究』 思文閣出版、1978年 『続日本鉱山史の研究』 岩波書店、1986年 『日本銅鉱業史の研究』 思文閣出版、1993年 『史林談叢 史学研究60年の回想』 臨川書店、1993年 『貨幣と鉱山』 思文閣出版、1999年 『想い出の記 引揚を経験した一歴史家の足跡』 私家版、1999年
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「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」の解説.
1905-2001 昭和-平成時代の日本史学者。
明治38年4月24日生まれ。台北帝大助教授,東京文理大教授をへて,昭和24年京大教授。のち竜谷大教授,京都女子大教授。中世・近世の貨幣,貿易,鉱山の歴史を研究。44年「日本鉱山史の研究」で学士院賞。平成8年文化功労者。平成13年8月8日死去。96歳。福井県出身。京都帝大卒。著作に「中世日支通交貿易史の研究」「日本貨幣流通史」など。

★木幡音吉
(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こは木幡音吉

★小浜和博
「島の新聞」索引(人名別)

★小濱恵子
「島の新聞」索引(人名別)

★小浜志摩守→小浜志摩守(おばましまのかみ)

★小濱玉太郎
(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こは小濱玉太郎

★小濱未来
両津高校時代の2000年度(H12)、県競書大会 準特選 

★小濱安夫
タイトルなし
令和5年2月末没、68歳。佐渡高校時代の昭和45.10.3~4、陸上競技県高校新人大会(新潟市)、砲丸投入賞
46.6.3~5、陸上競技県高校結合体育大会(新潟市)砲丸投1位・槍投3位 46.6.25-27 、陸上競技北信越大会(福井県)砲丸投4位  46.10.24、陸上競技国民体育大会(和歌山児) 県代表(砲丸投)として出場  47.6.1~3、陸上競技県高校結合体育大会(新潟夫砲丸投3位
「島の新聞」索引(人名別)

★小浜美晴
「佐渡ジャーナル」関係記事:「36号」(平成26年1月)「飛べ!ダコタ」制作こぼれ話

★小林旭
こば小林旭 (1) こば小林旭 (2) こば小林旭 (3) こば小林旭 (4) こば小林旭 (5) こば小林旭 (6) こば小林旭 (7) こば小林旭 (8) こば小林旭 (9)
「島の新聞」
82.jpg
「島の新聞」索引(人名別)


★小林一茶

『来島の文化人・蔵からのささやき』(山本修巳 平成30年刊)
こば小林一茶 来島の文化人・蔵からのささやき 山本修巳 平成30年 (1)
こば小林一茶 来島の文化人・蔵からのささやき 山本修巳 平成30年 (2)

※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小林一茶 
 30 鑑賞 佐渡のうた (23) -補遺- 小林一茶 山本修巳
 44 連載 閑々亭雑記 (3)  一茶の「七番日記」に見える佐渡の記事 山本修之助
 44 連載 閑々亭雑記 (3)  一茶と交遊のあった佐渡俳人 :可笑・可圭 山本修之助
 44 連載 閑々亭雑記 (3)  一茶より佐渡人宛の手紙  :淇竹 山本修之助
 57 信濃路の吟行 -一茶遺跡・松堂句碑めぐり- 山本修之助


★小林逸郎

(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こば小林逸郎


★小林巌雄(こばやしいわお)

1936年、東京都巣鴨生まれ。新潟大学理学部教授。地質鉱物学教室で、新生代の地史および古生物学を担当。
新潟油田・佐渡島の地質と化石の研究に従事。共著書「地球の歴史」 (共立出版)、「新潟市史-自然編」 (新潟市)などがある。『図説 佐渡島-自然と歴史と文化-』(1993年 佐渡博物館刊)の共同執筆者の一人。
「佐渡ジャーナル」関係記事:「64号」(令和3年1月)・佐渡遠望 佐渡の地質を愛した小林巌雄先生を悼む(元敬和学園高校教員 藤田英忠)


★小林英一

佐和田町出身、医博、産婦人科医。
・『青春の森』(「佐渡高校」 毎日新聞新潟支局 昭和50年) p392

※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小林英一 30 文芸評論家 亀井勝一郎さんのこと


★小林悦子

 両津高校時代の1989年度(H元)11月、新潟県競書大会 準特選  
 1990年度(H2)5月、新潟県競書大会 特選 
 1990年度(H2)2月、新潟県高等学校総合文化祭文芸部門(『高校文芸』第5号) 短歌 奨励賞 


★小林音治

『佐渡国泉の人物誌』(h29年11月)
こば小林音治 佐渡国泉の人物誌 h29年11月


★小林勘四郎

『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)
こば小林勘四郎 佐渡郡肖像録(大正15年 原泉 博友社)


★小林寛次郎

「佐渡案内 順徳天皇御遺跡案内」(大正12年 佐渡日報社)
こば小林寛次郎 「佐渡案内 順徳天皇御遺跡案内」(大正12年 佐渡日報社)
『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)
こば小林寛次郎郎 佐渡郡肖像録(大正15年 原泉 博友社)


★小林清衛

「躍進日本」(中川杏果)
こば小林清衛「躍進日本」 (2)
「躍進日本」(中川杏果)より
旧制佐渡中学二十七回(昭和二年)の卒業、芝浦工専(現工大)卒業、石井鉄工所に入社、蒲田工場長(重役)、実に真面目な実直肌で、エンジニアの模範のような人だ。社内はいうに及ばず社外からも尊敬されている。
「島の新聞」索引(人名別)


★小林キヨエ

『佐渡国泉の人物誌』(h29年11月)
こば小林キヨエ 佐渡国泉の人物誌 h29年11月


★小林研吾

佐渡高校時代の昭和56.5.30-6.1、陸上競技県高校総合体育大会(柏崎市)110mJH4位・400mH5位
56.6.19-21、陸上競技北信越大会(福井市)110mJH出場・400mH出場
57.6.18~20、陸上競技北信越大会(金沢市)110mJH8位


★小林源作

『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)
こば小林源策 佐渡郡肖像録(大正15年 原泉 博友社)
「波多-畑野町史総篇-」(昭和63年) 
「大正年間には、中何代に小林源作が石屋をやっていた。大物も手がけ、真野町恋が浦の東宮殿下上陸記念碑や、西三川の小布施神社の御旅所塔なども小林の作である。」


★小林治右衛門

(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こば小林治右衛門


★小林治左衛門

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
佐渡奉行、宝暦二年(一七五二年)二月十五日御先手盗賊火方改役より佐渡奉行に、三年十二月二十三日京都奉行に転任した。
名は春郷、知行ほ四百石、御役料千五百俵百人扶持であった。(佐島遺事)


★小林島司

陸軍少将。大正14年の「学校配属令」で佐渡中学にやってきた初代配属将校。新潟市西堀通り出身。後に石油販売の三舟商事を立ち上げる。三舟商事は昭和50年代頃まで両津夷や福浦で手広く商売をしていた。妻は金丸舟崎家長女で、兄弟には舟崎仁一弁護士、松栄俊三、舟崎由之等がいる。

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大正十四年四月十三日に公布された「学校配属令」により、佐渡中学校も配属将校を迎えることになった。佐中初代配属将校に任命されたのは小林島司歩兵大尉だった。小林は新潟市西堀通りの出身で、朝鮮成興歩兵第七十四連隊から配属され、三年間本校に在職した。小林が着任したの′は五月下旬のことで、その日は二宮と金沢の村境に在校生四〇〇人が整列するなかを挙手の礼をしながら到着したという。「スネさん」という別称で呼ばれた小林は、厳格ではあるが人情味豊かな人柄であった。後年、小林は当時を思い起こし、「軍隊教育の特徴は落第はなく、ことごとく陛下の戦士として完全に仕込まねばならないことは一般教育と違うところである。学校教育の難しさは限られた時間内に多くのクラスの生徒に技能ならびに精神を徹底させることに困難がある。自分は初年兵教育の数度の経験を持って、これをおこなうことには前年東京の陸軍省にて行われた講習会で東大教授筧克彦氏の古神道の大儀の感動に基づきこの精神の伝授を志した」と述べている。すでに明治末より発火演習などの軍事教練は実施されていた。発火演習では、四・五年生が武装して敵味方に分かれ、実戦さながらに戦闘隊形をつくり射撃練習をしたり山野を模擬行軍した。小林大尉の着任後は軍事教練が正科となり、週二時間がこれに当てられた。三年生以上が銃と銃剣を与えられて銃機庫の所定の場所に保管した。銃はほとんどが三八式小銃で、あとは三十年式小銃、空砲銃、騎兵銃、そして数挺の軽機関銃があり、軽機関銑は五年生が使用した。銃は軍から払い下げられたもので、遊挺の上の菊の御紋がつぶされてあった。生徒は一・二年生の時はもっばら手旗信号の練習をさせられていたので、三年生になってはじめて各人に銃が与えられると非常に嬉しく、丹念に手入れをした。これはまた、手入れが悪いと教練の点数が引かれるからでもあった。兵器の取り扱いについては厳しく、人間よりも銃が大切にされる指導が行われた。休憩の時は、叉銃といって銃を三挺組んで三脚に立てるのだが、立て方が悪くて倒れそうになろうものならひどくしぼられた。行軍中も、倒れても銑は上にあげて地につけるな、と教えられていた。小林は、敬礼の仕方や帽子のかぶり方までも厳しく指導した。敬礼は上級生に対しては歩きながら挙手の礼、職員には停止して挙手で敬礼、自転車に乗っている場合は、職員に対しては下車して敬礼することが徹底して指導生徒は最初小林配属将校が釆たとき、あれは「配属将校」ではなくて「廃物将校」だと陰口をきいたが、小林の指導の結果、校内の緩んだ空気は一掃され引き締まったものとなった。小林が着任して約半年後の十一月二十三日に佐中における第一回査閲が実施された。星村歩兵第十六連隊長が田中県体育主事に随行されて教練の様子を調べに来た。教練は明治末より実施されていたので、兵器材料も充実しており素地はすでにできていたが、それでも査閲前には毎日のように猛訓練が行われた。査閲では閲兵から各個教練、歩哨、分列、射撃などが行われ、最後に査閲官より口頭試問がなされた。たとえば、「将校の部下に対する心構えは何か」と質問されると、生徒の中でだれかが挙手して答えるという具合であった。小林の熱心な指導により、結果は「大旨優良なり」 の講評を受け、県下でも有数の好成績だった。のちに新潟師範に進んだ大正十五年卒の市橋要太郎の話では、他校と比べ非常に優れていた感じがしたという。
市橋と同級の山本輝治は次のように当時を思い返している。
(配属将校小林島司教官の思い出 第二十六回卒 山本輝治)
 爾来先生は奥様のご実家の真野町金丸の舟崎仁一弁護士(佐中二回卒早大法科)のお宅から自転車で通勤された。金丸とは落合橋一つへだてた八幡の小村君の家にやっかいになっていた僕は毎日同じ道を通った。その往き帰りによく自転車からおりられて、気軽に何かと話し掛けられた。どんな事が話題になったかは憶えていない。四大節になると鳥の羽根の帽子、胸間にひらめく勲章金色燦然たる肩章と袖章、陣太刀作りの軍刀をしかと揺られて、二人曳の人力者で登校されたもので、その時ばかりはいつもの温顔もなく謹厳そのものであった。さて一方学校教練は、人力曳のようなぴんと張った帽子(軍帽ではない)日やけして黄ばんだ服(軍服ではない)に節近のしの竹の鞭を指揮刀がわりにしていた市橋ブル老少尉に代って、三十二才の諷爽たる青年将校の登場、さてもその日のいで立はぴんと前庇のはね上ったま新しい軍帽、胸の赤青黄の略章、肩からの図のう、目に痛い鼻白な軍手、柿色の草ゲートル。一週一時間あるかなしかの時間が四時間にも増し、その急激な変化と、厳しく激しい新教練に一時は心身ともにくたくたに僕らではあったが、五月頃ともなれば鯉のぼりの泳ぐ五月晴の下、目にしみる若葉青葉の森かげの教練の方がかえって楽しいものになった。金北おろしをまともに受けて一段高い 「皇太子殿下御野立所」の標柱を囲んでの号令調整。(中略)新発田十六連隊長星村一平大佐の査閲が行われたのが九月下旬初めてのこととて小林教官の力の入れよう、気合の掛けよう。終っての講評は「良好なり」で僕等には物足りなく不満であったが翌日教官から軍隊ではこれが最高級の講評であることを聞かされやや腹の虫が治まった。

・『青春の森』(「佐渡高校」 毎日新聞新潟支局 昭和50年) p394


★小林寿一郎

こば小林寿一郎
こば小林寿一郎
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こば小林寿一郎 291228
こ小林寿一郎
1954年 佐渡市下久知に生まれる。1982年 高橋信一(佐渡版画村美術館創設者)に師事し、佐渡版画村運動 に参加する(高橋とヨーロッパ旅行)
1986年 日和崎尊夫、近藤浄太、小林寿一郎三人展(佐渡、大慶寺)
1991年 ニューヨーク滞在
1995年 第50回新潟県展、県展賞、無鑑査
2004年 「版で発信する作家たち」(福島、CCGA現代グラフィックアートセン ター)「佐渡の芸能」版画展(東京、ネスパス)
2005年 第100回民俗芸能公演「佐渡の芸能」(東京、国立劇場)
2006年 第2回新潟の作家100人(新潟県立万代島美術館)
現在 佐渡の小、中、高の学校で美術の非常勤講師、新潟県展版画委員

※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小林寿一郎
 79 県展賞を頂いて思ったこと
 99 鳥魚 詩
  106 小林寿一郎さん(両津・下久知在住)「佐渡の芸能」木版画展
  107 東京※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)表参道「新潟館ネスパス」個展について
 125「市民社会再生」-文化の有効性を探る-に参加して-東京大学文化資源学公開講座-


★小林清一

302月 小林清一


★小林責

「島の新聞」索引(人名別)


★小林大蔵

『小木町史』より
村の草分けといわれる旧家の人たちは、江戸時代に入っても名主をどの村役人を勤めた者が多くいました。こうした人びとは、戦国時代にはその地を支配した殿さまに仕えた地侍でした。これらの人たちの中には、江戸時代にも姓を名乗ったり、その名残を留めている者がいます。寛政元年(一七八九)の細見帳に、「羽茂の長臣、大倉、斎藤二家共にこの村に残る」と書かれています。大倉は小林氏です。小林大蔵と号したのでしょう。慶安五年(一六五二)の木野浦のうち、大畠村の組頭をしている大蔵がこの人です。屋敷という屋号を持つ一族が隣にいますから、一つの屋敷主(村の親方)であることがわかります。小林氏の大屋「二つ切」という家には、先祖から伝わる刀もあるといいます。木野浦の村を斎藤と小林とが二つに切つて、木野浦村、大畠村とした時代が存在したのでしょう。斎藤も小林も対岸の越後に多い姓です。


★小林辰美

新潟日報 平成27年11月19日
こば小林辰美

「島の新聞」2号
2こば小林辰美 (1)
2こば小林辰美 (2)
「島の新聞」索引(人名別)


★小林チヒロ

一九四七年新潟県佐渡に生まれる。現代写真研究所を経て竹内敏信氏に師事。
主に、ふるさと佐渡・夜間中学校・わらしこ園児たち他を撮影。
(個展)
一九九六年八月「第二の青春」ギャラリー・アートグラフ他で開催、二〇〇三年四月「人生に夢と誇りを!」ギャラリー・アートグラフ他で開催。
一九八一年~二〇〇二年まで毎年、画房喫茶・ラックで開催。
(出版)
一九八五年六月「POINT OF PHOTO ART」(共著)
二〇〇二年六月「夜間中学校の青春」(共著・見城和慶)
二〇〇八年三月「想い出のスナップ」(遊人工房)
二〇一三年三月「ふるさと佐渡」(遊人工房)
(雑誌)
一九八七年九月「母の友」(福音館書店)
二〇〇二年六月、七月 MOKU(黙出版)
二〇〇四年七月 暮らしの手帳杜・別冊
二〇〇六年九月 NHK「知るを楽しむ」テキスト他多数
(その他)
二〇〇三年一二月~二〇〇四年四月毎日新開・新教育の森
(住所)
〒206-0823 稲城市平尾3-7-5  平尾住宅68-307
TEL&fax 042-331-3175
メール chihiro@gf7.so-net.ne.jp

こば小林チヒロ こば小林チヒロ1 こば小林チヒロ


★小林恆生

※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小林恆生 99 山本家伝来の「古謡本」について


★小林貞次郎

(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こば小林貞次郎
『佐渡国泉の人物誌』(h29年11月)
こば小林貞次郎 佐渡国泉の人物誌 h29年11月


★小林哲夫(こばやしてつお)

「佐渡ふるさと百科」
こば小林哲夫 佐渡ふるさと百科
【生没】一九二七ー九七 洋画家。一水会常任委員。昭和二年二月、教員だった父伝一の勤務先、小木町で生まれた。父の出身地相川に移って、旧制相川中学を卒業する。母は戸地の生れ。画家を志し、昭和二十七年(一九五二)日展にパステル画の裸婦を出品して、初入選した。のち一水会に所属し、ここを発表の場にして油彩画を描き続け、一水会展第十回記念展賞を、一九六五年に受賞、翌年優秀賞を受賞した。この年日動画廊(東京)で、初個展を開いている。一九七一年にヨーロッパへ渡って翌年帰朝し、日動画廊の東京・大坂・名古屋の本・支店で滞欧作品展を開き、同七六年にインド・スリランカ・タイ・中国を旅した。この年有志とともに、現代パステル作家協会展を結成した。この間、NHKドラマ「天才画の女」「華族の女」などの絵画指導を担当、一九八六年には日伯受賞展で大賞をもらった。同八九年に「公募団体現代パステル協会を創立し、第一回展が開催されている。九二年には国際文化賞を受けるなど、パステル画の第一人者と評された。四度にわたるインド旅行から、インド思想の中心概念ともいわれるサンサーラ(輪廻転生)をテーマに、民族衣装の女性や女体の組み合わせなどを、多彩な色彩を駆使して描き、宗教色豊かな作品を多く残した。その大作の一つ「サンサーラA」(百号)が、佐渡博物館にも寄贈され、常設展示されている。誠実・温容といった人柄で、平成九年一月藤沢市の病院で、六九歳で没した。
【参考文献】「小林哲夫作品集」 【執筆者】本間寅雄 (相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』より)


★小林哲平

佐渡高校時代の36.8.2~3、水泳東北高校大会(酒田市)総合24点3位、入賞


★小林徳蔵

『新穂村史』(昭和51年)より
彫り師の項に出てくる馬場の児玉春次や、その師匠の小林徳蔵も、そもそもは塗師であった。
徳蔵は新潟の生れであるが、青木与三郎家との縁で新穂に来たらしく、横町の北方よりの家で開業をしていた。与三郎家は明治末に新潟塗りを佐渡に導入した家である。それまでは建具職などをやっていたが、寅蔵の代に塗師を本業とするようになった。


★小林智明

※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小林智明 45 笠原(車+刄)の父 渡辺漁村のこと


★小林流

「島の新聞」索引(人名別)


★小林仁一  

『佐渡国泉の人物誌』(h29年11月)
こば小林仁一 佐渡国泉の人物誌 h29年11月 (1) こば小林仁一 佐渡国泉の人物誌 h29年11月 (2)


★小林仁作   

『佐渡のスポーツ賛歌』(平成9年刊)
・大正15年、小林仁作(新潟師範一相川)が全国中学校庭球大会で堂々優勝する。
・新潟県中等学校陸上競技大会で、竹林正一(相川)がメンバー800mリレーチームは決勝で二位を40mも離してゴールインした。全国大会でも他の追従を許さず堂々と優勝。新潟師範の竹林が800リレーで、同小林仁作が庭球で、同下林中二郎が剣道で揃って全国優勝したので、「相川の三林優勝」と当時の新聞は絶賛した。


★小林博

新潟市日和山の人で、長く夷3で熊倉商店(衣料店)を経営していた。兄も相川羽田(現在は集会所)で衣料店を経営されたが先に亡くなった。共に行商から始め、店を構えたのだと思う。博さんは両津商工会の演芸部長みたいな方で、各種祭りで商工会関係の出し物の踊りを指導した。音楽分野では大森屋の後藤昭雄氏が居られ絶妙のコンビだった。人間的にも皆に好かれる方であった。新潟の家が火事となり奥様が焼死した。両津の店は息子さん(信大農学部卒)と一緒にやっていた。平成20年頃に亡くなったと思う。亡くなる5年位前からは新潟に移住していた。カラオケが好きで女性などをうまくリードする話術に巧みな方だった。次男は北越高校野球部でならし高校教師となった小林豊さん、長女は舟栄中、ぬったり高校時代にバスケットで全県トップクラスの選手で、176㎝位の長身を生かし、高卒後は日立甲府で活躍した。その息子の小川健太君もバスケでミニバス、中学、高校(新潟商)で県を代表するプレーヤーとしてならした。


★小林文枝

「島の新聞」索引(人名別)


★小林ふみ子

※『佐渡郷土文化』所収(数字は号)小林ふみ子 130 石井夏海『貼交帳』資料紹介-北斎画 朱楽菅 アケラカンコウ 死絵-・駒形覐
 55 山本修之助著『佐渡のわらべ唄』
 63 「野のうた 恋のうた」に思う


★小林将雄

佐渡中学昭和6年卒、新潟南高校長。
・『青春の森』(「佐渡高校」 毎日新聞新潟支局 昭和50年) p422


★小林(近藤)万吉

『佐渡のスポーツ賛歌』(平成9年刊)より
相川中学への転校生であったが柔道が抜群に強く、昭和5年、佐渡中学対相川中学戦で左佐渡中学の猛者を投げ飛ばしてその話は他校に響き渡った。
→松柴辰治郎(回想)


★小林美智子
   
佐渡高校時代の昭和32.7.1、全国学校書道連盟主催全国学生競書大会特賞


★小林満

佐渡高校時代の42.10.7-8、陸上競技県高校新人大会(柏崎市)(砲丸投)入賞


★小林明伝

『越佐人物誌』(昭和47年発刊 牧田利平編 野島出版)
裁判所長、弁護士。佐渡郡畑野町松ケ崎の出身、大正五年京都大学独法科を卒業して司法官試験に合格した。神戸地方裁判所検事局検事、高知、大阪地方裁判所判事をへて昭和十六年釧路裁判所長となり以後秋田、水戸の各裁判長となった。二十一年新潟地方裁判所長となり、二十九年八月、定年の六十五才で退官した。その後新潟市学校町二の自宅で弁護士を開業した。昭和四十年十一月、七十六才で勲二等瑞宝章を受けた。昭和四十五年四月二十八日に八十才でなくなった。(昭和四〇・一一・三新潟日報、昭和四五・四・二九・朝日新聞)


★小林恵

 両津高校時代の1988年度(S63)11月、第34回青少年読書感想文全国コンクール(全国学校図書館協議会・毎日新聞社主催) 県審査 佳作      


★小林弥太郎

「相川暴動」(「佐渡の百年」)


★小林祐玄

昭和22年、相川町諏方町生まれ、実家は万照寺。相川高校卒。小学校教諭として県内各地を回り、退職後佐渡市教育長等を歴任。
こば小林祐玄
「島の新聞」索引(人名別)


★小林裕

「躍進日本」
こば小林裕「躍進日本」


★小林よしえ

みん民謡 (1)
こば小林よしえ h27 5 31 こば小林よしえ h27 5月 (2) こば小林よしえ h27 5月
両津入桑出身の民謡家、昭和16 年生。県内外に民謡教室を主宰し、佐渡民謡他を指導する。出身地である大川で昭和30 年前後に歌われた「大川小唄」の復活に尽力し、三味線を加えて現在の洗練された「佐渡大川小唄」の誕生に一役買う。佐渡で開催される各種民謡大会には多くの生徒達を引率参加されている。

2019 0428
こば小林よしえ

諸情報


★小林由助

左:『佐渡郡肖像録『(大正15年 原泉 博友社)  右:『佐渡案内写真大集』(大正14年刊)より
こば小林由助 佐渡郡肖像録(大正15年 原泉 博友社) こば小林由助 佐渡案内写真大集

(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こば小林由助


★小林芳太郎

(『佐渡名艦』 高屋次郎 昭和13年刊)
こば小林芳太郎
『佐渡国泉の人物誌』(h29年11月)
こば小林芳太郎 佐渡国泉の人物誌 h29年11月


★小林由太郎

『新潟県官民肖像録』(明治41年) 
こば小林由太郎 新潟県官民肖像録 明治41年


★小林良則

 両津高校時代の1985年度(S60)11月、第19回新潟県高等学校美術展美術奨励賞      


★小林利吉郎

『佐渡酒誌』(平成14年)
こば小林利吉郎 『佐渡酒誌』(平成14年)


★小林了俊

『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)より
・大2、秦逓信次官来郡[十年七月十八日]


★小原雄信   

『佐渡のスポーツ賛歌』(平成9年刊)より
河原田の人、第10回県青年陸上競技大会(長岡中学グランド)において800m5 位。


★木挽屋石松 

『羽茂町誌第三巻(近世の羽茂)』より
羽茂の高名な鍛冶氏江市郎兵衛門下である。不詳。
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