2016-12-11
両津
「両津の旅館」(「両津町史」(昭和44年刊))



「両津の遊郭」

※「一三楼」は新穂の一三楼であろうか?



金沢屋「遊郭に泊まる」(関根虎洸 h30o7月)




小木
★権座屋
現当主は末武一平氏(昭和8年生、佐渡高校卒)。妻は赤泊野澤安太郎の娘(卯市の孫)。一平の父は誠一、祖父末吉は羽茂海老名家(大野屋)より婿入り。誠一は文人墨客と交流し、書画骨董等収集した。平成25年頃閉館した。小杉放菴、中川一政(かずまさ:数回宿泊)、林武、藤田嗣治等の画家、浜田庄司、河合寛治郎等の陶芸家、水上勉等の作家、長嶋茂雄・藤田元司等のスポーツ選手等数多くの著名人が宿泊した。尾崎紅葉とお糸さんが浮名を流した明治32年頃は料亭「旭楼」であった。
★高砂屋
中川益栄(ますえ:昭和8年生)によると、
・小木の料亭で、経営は佐藤家で子孫は新潟在住。長谷川伸等が宿泊した。下駄箱、階段、鏡等は料亭時代そのままに残る。大きな鏡は「エビスビール」とあり「高砂屋」と書かれている。
・平洋戦争が始まる昭和16年頃に廃業。昭和34年頃、一時的にキング理髪店があった。現在は中川履物店(中川益栄さん経営)が借りている。
★矢島館
昭和40年前後から平成20年頃まで営業していた。それ以前は吉沢旅館。吉沢旅館は移転して小木観光ホテルとなったが、観光不況の中で閉館し、吉沢家は島外に移住した。
★吉沢旅館
昭和28年井上靖が宿泊し、『大佐渡小佐渡』に旅館について記述している。吉沢旅館は移転して小木観光ホテルとなったが、観光不況の中で閉館し、吉沢家は島外に移住した。吉沢家は元は海産物生で、「琴平座」創業時のメンバーである。
「両津の旅館」(「両津町史」(昭和44年刊))



「両津の遊郭」

※「一三楼」は新穂の一三楼であろうか?



金沢屋「遊郭に泊まる」(関根虎洸 h30o7月)




小木
★権座屋
現当主は末武一平氏(昭和8年生、佐渡高校卒)。妻は赤泊野澤安太郎の娘(卯市の孫)。一平の父は誠一、祖父末吉は羽茂海老名家(大野屋)より婿入り。誠一は文人墨客と交流し、書画骨董等収集した。平成25年頃閉館した。小杉放菴、中川一政(かずまさ:数回宿泊)、林武、藤田嗣治等の画家、浜田庄司、河合寛治郎等の陶芸家、水上勉等の作家、長嶋茂雄・藤田元司等のスポーツ選手等数多くの著名人が宿泊した。尾崎紅葉とお糸さんが浮名を流した明治32年頃は料亭「旭楼」であった。
★高砂屋
中川益栄(ますえ:昭和8年生)によると、
・小木の料亭で、経営は佐藤家で子孫は新潟在住。長谷川伸等が宿泊した。下駄箱、階段、鏡等は料亭時代そのままに残る。大きな鏡は「エビスビール」とあり「高砂屋」と書かれている。
・平洋戦争が始まる昭和16年頃に廃業。昭和34年頃、一時的にキング理髪店があった。現在は中川履物店(中川益栄さん経営)が借りている。
★矢島館
昭和40年前後から平成20年頃まで営業していた。それ以前は吉沢旅館。吉沢旅館は移転して小木観光ホテルとなったが、観光不況の中で閉館し、吉沢家は島外に移住した。
★吉沢旅館
昭和28年井上靖が宿泊し、『大佐渡小佐渡』に旅館について記述している。吉沢旅館は移転して小木観光ホテルとなったが、観光不況の中で閉館し、吉沢家は島外に移住した。吉沢家は元は海産物生で、「琴平座」創業時のメンバーである。
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