2016-03-01
両津の旧築港から旧魚市場を望む(昭和40年頃)

width="1280" height="878" />

旭昇堂製


「渡り鳥いつまた帰る」(昭和35年封切り)



















「両津町史」(昭和44年)

両津高校同窓会名簿より(h25年刊









「佐渡案内 順徳天皇御遺跡案内」(大正12年 佐渡日報社)
















諏方神社
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夷保育園
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吹雪島
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両津中学校(小学校と併設) 昭和25年頃 山田昭夫氏の卒業写真? 前列中央原与一校長 中列左端後藤英吉、前列右端立つ菊池、座り伊藤、近藤右全、後列中央伊藤邦夫各教諭
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持秀院 両尾
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「両津町史稿」(広告 大正7年)



片野尾歌舞伎



加茂湖周辺





諏方神社社務所展示

















真法院( 新潟県官民肖像録 明治41年)

中村喜一(中村写真館創業者、当時子供)画 若宮神社


「佐渡幻影」(中俣正義 平成1年刊)
左:二ツ亀 1954 、右:ドンデン山から両津湾 1956頃

左:ドンデン山のシャクナゲ 1956・7 、右:扇岩 1948・9(1965年12月に倒壊)

左:カンゾウの咲く大野亀 1978・6 、右:ごがね丸と両津埠頭 1953・7

左:ごがね丸の出航 1957・5 、右:鬼太鼓 1951・10

左:水揚げ場の婦人 1948・12 、右:虫崎の船書き鳩(松前丸船上から)1957・5

左:両津埠頭の人々 1953・7 、右:ドンテン山 馬の放牧 1956・7

左:加茂湖畔のイカ干し 1951・6 、右:願 ワカメ干し 1957・5

左:願 外海府のおへんろさん 1961・6 、右:願 五右衛門風呂 1957・8

左:願 賽の河原 1951頃 、右:藻浦 郵便屋さん 1957・5

左:片野尾 片野尾歌舞伎 1973・4 、右:北鵜島 アラメ干し 1966・5

左:北鵜島 ワカメ干し 1957・5 、右:北鵜島 車田植 1981・5

左:鷲崎 佐渡牛の放牧 1955頃 、右:赤玉 小獅子舞 杉弛まつり1981・6

両津埠頭のバス乗り場 1953・7

両津営業者案内(大正14年)



『渡り鳥いつまた帰る』( 昭和35年 両津・相川ロケ)





昭和40年11月28日第6回全日本リード合奏大会に、新潟県代表で、両津小学校が、新潟県大会で金賞となり、県代表で、東京 文京公会堂での演奏写真 (この時は、銀賞)。佐渡の小学校で、最初で最後の出来事です。

『佐渡肖像録』(大正末)


「思い出ほろろん」(新潟日報事業社 平成5年刊)





団塊の世代、日本で一番人数の多い昭和22年生。 両津夷第一保育所だけでもこんなに居た(昭和27年)
※何を隠そう、後から二列目左から二人目のぼやーーっとしたのが私である。(笑)

「ふるさとの百年(佐渡)」







































「佐渡の今昔」

































「佐渡の百年」



















































「佐渡の昭和」






























































藤下氏提供




天主堂

野村旅館




回顧百年(両津小)


















































佐渡空港建設工事の記録 自衛隊豊川第103建設大隊が中心となって昭和33年の8月から11月までの僅か3ヶ月で1000mの滑走路を完成させました。撮影は陶芸家(佐渡無妙異焼)の池野勝治さん。


「佐渡万華鏡」
左から 「24 昭和初期 佐渡両津港には、内地からの流行がいち速く上陸。粋なマフラーを捲く両津芸者」 「25 昭和初期 夕方になるとイカ釣船が両津橋を潜って出漁の時間。両津の芸者さんも出番の頃」

左から 「29 昭和4年 佐渡の玄関口、両津港埠頭に客待ちのT型フォードが並ぶ。着船した第八佐渡丸」 「39 昭和11年に佐渡でバスガイド付きの本格的な遊覧観光が始まった。両津港バス停」

左から 「40-A 昭和9年、両津港埠頭に着いた国際観光局委員一行が、佐渡を視察のために来島」 「40-B 昭和4年頃、朝日新聞社の販売代理店をしていた夷高田屋呉服店所有のシボレー」

左から 「44-B 昭和7年 佐渡汽船の「おけさ丸」は、波静かな水津港沖を、新潟方面に向けて航海している」 「45 昭和2年 童話作家の巌谷小波が佐渡に釆た。両津港埠頭に着船した「第八佐渡丸」を迎える」
![「佐渡万華鏡」 54 大正15年8月に両津町で川開き花火大会が挙行された。]()
左から 「65 昭和12年 潮水が入る淡水湖の加茂湖は、カキの養殖が盛んだ。森の中には両津郷土博物館」 「70 大正後期 淡水湖に海水が入る両津の加茂湖、畔でエビ漁網を干す。カキの養殖も行われる」

左から 「74-75 昭和16年 放牧地タダラ峰の道路整備一行が山小屋へ向かう姿が、ドンデン他の水面に映る」 「79 大正後期 両津の椎崎付近から、美しい加茂湖畔を望める場所に、小学生を並べて記念撮影」

左から 「81-A 大正後期 大観音像を彫るために大杉の用材を、村人が総出で運ぶ。親松仏巌(ぶつごん)師(左4人目)」 「81-B 大正後期「家内安全」と無病を祈願しながら、工房で、子供を抱いた仏像を彫る親松仏巌(ぶつごん)師」

左から 「85 大正11年 大佐渡山系から流れる和木川、両津の和木橋の上に、主婦たちが勢ぞろいをした」 「86 昭和8年 外海府の真更川海岸で海水浴する女性たちの水着姿にも、昭和時代の流行がある」

左から 「114 大正15年 両津の吾潟の山かげに佐渡宝生流の宗家がある。本間家の能舞台で能が舞われる」 「142-B 大正12年 数台の大八車に沢山の炭俵が。佐渡汽船抹式会社の事務所は両津埠頭前にあった」
左より 「150 昭和16年 両津町夷の加門魚屋さんの主人。魚の行商をするために毎日金沢村にやってくる」 「141 昭和10年 米と水が美味い佐渡には、沢山の酒造元がある。宴会の席も多い。両津の酒店主」

左から 「168-B 昭和5年 東京日日新開の一行と観光遊覧船「かもめ丸」で、佐渡を視察遊覧した。加茂湖で」 「178 大正15年、両津劇場で山本悌二郎らが出席して、第1回の模擬国会が開催された」

左から 「211 昭和初期 カメラ器材の進歩で小型化され、リアリズム写真思考に移る。真更川の大ザレ滝」 「33 大正6年 両津港埠頭から夷海岸通りまで、連絡用ハシケ舟が町営車馬停留所まで客を運ぶ」

左から 「42 昭和10年 両津の夷海岸通り、手前は港タクシー事務所、後方のハト屋煙草店は、現存する」 「44-A 大正後期 海岸には船を係留する錨が置かれていた両津港。沖合に停泊している第二佐渡丸」

左から 「46-47 昭和12年 日中戦争が勃発した。出征兵士を乗せた初代「おけさ丸」を送る島人の夢と期待を」 「55 昭和7年 両津町和木川上流の「法力和光滝」、落差約40mの滝壷で、打水に体を清める人々」
左から 「168-A 昭和9年 佐渡に国際観光局委員が来島した。初めて訪れた人たちは、島が広いのに驚いた」 「176 大正12年 大佐渡山系を背景にして、両津町同志会修養団のメンバーが、体育訓練に励んだ」

左から 「180・181 昭和12年 第八佐渡丸に乗り込んだ出征兵士を送る別れのテープが、海に流される」 「208 昭和前期 両津港に接岸した「大国丸」を背景にして記念写真を撮影する修養団同士会の人達」

左から 「209 昭和2年 巌谷小波・ドイツ協会学校出身、児童文学に新境地を開く。第八佐渡丸に見送る」

「佐渡写真帳」

























「なつかしの佐渡」(土屋千秋)










「佐渡」(朝日ソノラマ)







葛原五雲 明治末の写真
左より 「明治末の写真 水津郵便局」

「田村祥男写真絵ハガキ 「佐渡・ひと・くらし」(昭和40・50年代)
左より 「精霊送り 両津市赤玉 昭和59年撮影 盆に訪れた祖先の霊は、盆が終わると仏前に供えた茄子や胡瓜、トマトなどの野菜、果物、団子などと一緒に精霊舟(しょうりようぶね)に乗せて再び海に帰す」 「鷲崎 昭和45年4月7日 新潟からの新米の先生と新1年生。学校から3キロ離れた藻浦集落の生徒を先生が送る。」

「佐渡案内写真大集」



















































































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旭昇堂製



「渡り鳥いつまた帰る」(昭和35年封切り)






































「両津町史」(昭和44年)

両津高校同窓会名簿より(h25年刊









「佐渡案内 順徳天皇御遺跡案内」(大正12年 佐渡日報社)
















諏方神社

夷保育園






吹雪島


両津中学校(小学校と併設) 昭和25年頃 山田昭夫氏の卒業写真? 前列中央原与一校長 中列左端後藤英吉、前列右端立つ菊池、座り伊藤、近藤右全、後列中央伊藤邦夫各教諭

持秀院 両尾


「両津町史稿」(広告 大正7年)



片野尾歌舞伎






加茂湖周辺











諏方神社社務所展示



















真法院( 新潟県官民肖像録 明治41年)

中村喜一(中村写真館創業者、当時子供)画 若宮神社




「佐渡幻影」(中俣正義 平成1年刊)
左:二ツ亀 1954 、右:ドンデン山から両津湾 1956頃


左:ドンデン山のシャクナゲ 1956・7 、右:扇岩 1948・9(1965年12月に倒壊)


左:カンゾウの咲く大野亀 1978・6 、右:ごがね丸と両津埠頭 1953・7


左:ごがね丸の出航 1957・5 、右:鬼太鼓 1951・10


左:水揚げ場の婦人 1948・12 、右:虫崎の船書き鳩(松前丸船上から)1957・5


左:両津埠頭の人々 1953・7 、右:ドンテン山 馬の放牧 1956・7


左:加茂湖畔のイカ干し 1951・6 、右:願 ワカメ干し 1957・5


左:願 外海府のおへんろさん 1961・6 、右:願 五右衛門風呂 1957・8


左:願 賽の河原 1951頃 、右:藻浦 郵便屋さん 1957・5


左:片野尾 片野尾歌舞伎 1973・4 、右:北鵜島 アラメ干し 1966・5


左:北鵜島 ワカメ干し 1957・5 、右:北鵜島 車田植 1981・5


左:鷲崎 佐渡牛の放牧 1955頃 、右:赤玉 小獅子舞 杉弛まつり1981・6


両津埠頭のバス乗り場 1953・7

両津営業者案内(大正14年)



『渡り鳥いつまた帰る』( 昭和35年 両津・相川ロケ)












昭和40年11月28日第6回全日本リード合奏大会に、新潟県代表で、両津小学校が、新潟県大会で金賞となり、県代表で、東京 文京公会堂での演奏写真 (この時は、銀賞)。佐渡の小学校で、最初で最後の出来事です。



『佐渡肖像録』(大正末)









「思い出ほろろん」(新潟日報事業社 平成5年刊)









団塊の世代、日本で一番人数の多い昭和22年生。 両津夷第一保育所だけでもこんなに居た(昭和27年)
※何を隠そう、後から二列目左から二人目のぼやーーっとしたのが私である。(笑)

「ふるさとの百年(佐渡)」














































































「佐渡の今昔」

































































「佐渡の百年」






































































































「佐渡の昭和」



























































































































藤下氏提供








天主堂


野村旅館











回顧百年(両津小)






































































































佐渡空港建設工事の記録 自衛隊豊川第103建設大隊が中心となって昭和33年の8月から11月までの僅か3ヶ月で1000mの滑走路を完成させました。撮影は陶芸家(佐渡無妙異焼)の池野勝治さん。


「佐渡万華鏡」
左から 「24 昭和初期 佐渡両津港には、内地からの流行がいち速く上陸。粋なマフラーを捲く両津芸者」 「25 昭和初期 夕方になるとイカ釣船が両津橋を潜って出漁の時間。両津の芸者さんも出番の頃」


左から 「29 昭和4年 佐渡の玄関口、両津港埠頭に客待ちのT型フォードが並ぶ。着船した第八佐渡丸」 「39 昭和11年に佐渡でバスガイド付きの本格的な遊覧観光が始まった。両津港バス停」


左から 「40-A 昭和9年、両津港埠頭に着いた国際観光局委員一行が、佐渡を視察のために来島」 「40-B 昭和4年頃、朝日新聞社の販売代理店をしていた夷高田屋呉服店所有のシボレー」


左から 「44-B 昭和7年 佐渡汽船の「おけさ丸」は、波静かな水津港沖を、新潟方面に向けて航海している」 「45 昭和2年 童話作家の巌谷小波が佐渡に釆た。両津港埠頭に着船した「第八佐渡丸」を迎える」


左から 「65 昭和12年 潮水が入る淡水湖の加茂湖は、カキの養殖が盛んだ。森の中には両津郷土博物館」 「70 大正後期 淡水湖に海水が入る両津の加茂湖、畔でエビ漁網を干す。カキの養殖も行われる」


左から 「74-75 昭和16年 放牧地タダラ峰の道路整備一行が山小屋へ向かう姿が、ドンデン他の水面に映る」 「79 大正後期 両津の椎崎付近から、美しい加茂湖畔を望める場所に、小学生を並べて記念撮影」


左から 「81-A 大正後期 大観音像を彫るために大杉の用材を、村人が総出で運ぶ。親松仏巌(ぶつごん)師(左4人目)」 「81-B 大正後期「家内安全」と無病を祈願しながら、工房で、子供を抱いた仏像を彫る親松仏巌(ぶつごん)師」


左から 「85 大正11年 大佐渡山系から流れる和木川、両津の和木橋の上に、主婦たちが勢ぞろいをした」 「86 昭和8年 外海府の真更川海岸で海水浴する女性たちの水着姿にも、昭和時代の流行がある」


左から 「114 大正15年 両津の吾潟の山かげに佐渡宝生流の宗家がある。本間家の能舞台で能が舞われる」 「142-B 大正12年 数台の大八車に沢山の炭俵が。佐渡汽船抹式会社の事務所は両津埠頭前にあった」


左より 「150 昭和16年 両津町夷の加門魚屋さんの主人。魚の行商をするために毎日金沢村にやってくる」 「141 昭和10年 米と水が美味い佐渡には、沢山の酒造元がある。宴会の席も多い。両津の酒店主」


左から 「168-B 昭和5年 東京日日新開の一行と観光遊覧船「かもめ丸」で、佐渡を視察遊覧した。加茂湖で」 「178 大正15年、両津劇場で山本悌二郎らが出席して、第1回の模擬国会が開催された」


左から 「211 昭和初期 カメラ器材の進歩で小型化され、リアリズム写真思考に移る。真更川の大ザレ滝」 「33 大正6年 両津港埠頭から夷海岸通りまで、連絡用ハシケ舟が町営車馬停留所まで客を運ぶ」


左から 「42 昭和10年 両津の夷海岸通り、手前は港タクシー事務所、後方のハト屋煙草店は、現存する」 「44-A 大正後期 海岸には船を係留する錨が置かれていた両津港。沖合に停泊している第二佐渡丸」


左から 「46-47 昭和12年 日中戦争が勃発した。出征兵士を乗せた初代「おけさ丸」を送る島人の夢と期待を」 「55 昭和7年 両津町和木川上流の「法力和光滝」、落差約40mの滝壷で、打水に体を清める人々」


左から 「168-A 昭和9年 佐渡に国際観光局委員が来島した。初めて訪れた人たちは、島が広いのに驚いた」 「176 大正12年 大佐渡山系を背景にして、両津町同志会修養団のメンバーが、体育訓練に励んだ」


左から 「180・181 昭和12年 第八佐渡丸に乗り込んだ出征兵士を送る別れのテープが、海に流される」 「208 昭和前期 両津港に接岸した「大国丸」を背景にして記念写真を撮影する修養団同士会の人達」


左から 「209 昭和2年 巌谷小波・ドイツ協会学校出身、児童文学に新境地を開く。第八佐渡丸に見送る」

「佐渡写真帳」



















































「なつかしの佐渡」(土屋千秋)




















「佐渡」(朝日ソノラマ)














葛原五雲 明治末の写真
左より 「明治末の写真 水津郵便局」

「田村祥男写真絵ハガキ 「佐渡・ひと・くらし」(昭和40・50年代)
左より 「精霊送り 両津市赤玉 昭和59年撮影 盆に訪れた祖先の霊は、盆が終わると仏前に供えた茄子や胡瓜、トマトなどの野菜、果物、団子などと一緒に精霊舟(しょうりようぶね)に乗せて再び海に帰す」 「鷲崎 昭和45年4月7日 新潟からの新米の先生と新1年生。学校から3キロ離れた藻浦集落の生徒を先生が送る。」


「佐渡案内写真大集」




































































































































































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